村上春樹を読む
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村上春樹を読む


村上春樹を読むのは楽しい。その楽しさはどこから来るのか。おそらく、彼の作品が、現代の地球社会の常識を超えているからだろう。人は常識に囚われているばかりでは、つまり貴重面に生きているだけだは、人生を楽しんでいるとはいえない。その常識を無視するかのように、村上は自由自在な想像力を働かせて奇想天外な物語を示してくれる。その物語が、我々を開放的な気分にしてくれ、その開放的な気分が我々に楽しい思いをさせてくれるのだろう。

とにかく、村上春樹には現代の地球社会の常識を超えるところがある。彼の作品には、暴力やセックスやたばこやアルコールといった不道徳なテーマが充満している。村上の小説に出てくる若者たちは挨拶がわりにセックスをするし、海辺のカフカの少年は自分の母親と、それと知っていながらセックスをする。また、自分の姉かもしれない女性にセックスを迫ったりする。一方、暴力シーンを描くことについては、村上春樹だけの専売特許ではないが、村上の場合には、たとえば「ねじまき鳥クロニクル」に見られるように、そうした暴力を否定しているわけではなく、逆に暴力は人間性に根差したものであるかのような書き方をするものだから、ナチス並みの暴力礼賛論者と受け取られかねないところがある。

また、たばこやアルコールについての村上のこだわりは、偏執狂的なところがある。アルコールへの耽溺については、あのヘミングウェーが「武器よさらば」のなかで美学的な表現にまで高めたところだが、たばこへの偏愛を文学の世界にもちこんだのは、村上以外には思い浮かばない。しかも村上は、子どもにたばこを吸わせたりもしている。そういう姿勢は、背徳的といわれても仕方がないところがある。もし村上春樹が結果的にノーベル賞を取れなかったとしたら、その理由はおそらく彼の作品の背徳性にあるのだと思う。

村上春樹は背徳的なモチーフを描くだけではない。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では人間がテレパシーを通じてつながっているといった超コミュニケーションともいうべきものを描いたし、「1Q84」ではオルター・ワールドを描いた。また、「騎士団長殺し」ではイデアとかメタファーとかいった哲学的なテーマについても展開してみせた。村上春樹は非常に幅の広い作家だと言える。

幅広いテーマを縦横に展開する一方で、村上春樹には著しい特徴がある。物語性を重視するという点である。中には「ノルウェイの森」のようなリアリスティックな作品もあるが、ほとんどの小説はファンタスティックな物語性を追求している。その物語性は、奔放な想像力によって支えられている。日本の文学史の上で、村上春樹ほど想像力を感じさせる作家はいない。大江健三郎でさえ、想像力はリアリズムと交差していた。想像力を全面的に解き放った作家は、一時期の谷崎をのぞけば、村上春樹以外にはいないといってよい。

村上春樹にはまた、遊びの精神も横溢している。日本文学史において、遊びの精神というと、徳川時代からの伝統があり、明治以降では永井荷風がそのもっとも洗練された達人といってよかったが、村上春樹の遊びの精神は、もっと普遍的なものである。コスモポリタンな精神につながるものがある。そうした傾向は、初期の短編小説においてすでに著しく感じられるのだが、時を追うにつれて、洗練されていった。

その一方で、村上春樹の作品には、哲学的な深さを感じることはあまりない。「騎士団長殺し」には、イデアとかメタファーとか、哲学的な議論を彷彿させるようなタームも使われてはいるが、言葉に込められたメッセージには、哲学的な深さを感じさせるものはないといってよい。その代りに村上春樹が感じさせるのは、言葉の魔術のようなものだ。その魔術は、言葉についての深い理解から生み出される。村上春樹ほど、日本語について自覚的な作家はいない。

物語性といい、言葉の魔術といい、村上春樹の世界を一言で表現すれば、豊穣の世界ということになろう。そうした豊饒さは、小説ばかりではなく、批評にも現われている。村上の批評には思想的な深みを感じさせるところはないが、話題の面白さと語り口の軽妙さとで、読者を飽きさせることがない。そういう姿勢は、若い頃に経営していたジャズ喫茶での経験から形成されていったのだろうか。村上は人を楽しませる才能に恵まれているようで、そういう彼の側面は、ラヂオでのディスクジョッキーぶりにもあらわれていた。筆者もその番組を聞いたことがあるが、なかなか楽しませてもらった。

このサイトでは、村上春樹の豊穣な世界について、壺齋散人が作品のテクストに即して読み解いてみた。


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1Q84:村上春樹の世界

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加藤典洋「村上春樹は、むずかしい」

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村上春樹がノーベル賞と無縁なワケ


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