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猫の町:村上春樹「1Q84」を読む |
村上春樹「1Q84」の英訳本が出た時、英米の読者の間で最も関心を読んだのは「猫の町」の挿話だった。ニューヨーク・タイムズはそのファンタスティックな描写に敬意を表し、ニューヨーカーはその部分を掲載したほどだった。 「猫の町」とは、天吾が千葉県の千倉の病院に入院している父親を2年ぶりに訪ねていく汽車の中で読んだ短編小説の題名だ。小説の中ではドイツの作家が書いたということになっているが、実際は村上自身の創作になるものだ。それは次のような奇妙な筋書きだった。 きままな汽車の旅を楽しんでいる青年が、とある駅でぶらりと降りる。そこには小さな町が広がっていたが、不思議なことに人間は一人もいない。店にはシャッターが下ろされ、役所にも人影はなく、ただひとつあるホテルの受付にも人がいない。そこは人間の町ではなく猫の町だったのだ。 日が暮れると猫たちは石橋を渡って町の中に入ってきて、シャッターをあげて店を開け、役所の机に向かって仕事を始めた。またレストランで食事をする猫もおり、陽気な猫の歌を歌うものもある。猫は夜目がきくので、暗くても良く目が見える。ましてその夜は明るい月夜だった。みなそれぞれ猫流に一夜を過ごした。そして夜が明けると彼らは、すべてを片づけて町から去っていった。 男は、猫がいなくなったあと、ホテルのベッドに入って勝手に眠り、ホテルの台所に残されていたパンを食った。列車は一日に二度この町の駅に停まる。午前の列車は先の駅に進み、午後の駅は前の駅に戻る。だが好奇心が旺盛な青年は、そのままこの町にとどまることにした。 三日目になると、猫たちは人間の匂いがするといって騒ぎ出した。彼らは警護団を形成して、町中を捜索した。そのうち青年が隠れている鐘つき台の上に上ってきて、青年の目の前まで近づいてきた。だが不思議なことに、猫たちには人間の匂いは感じられても、その姿は見えないのだった。 猫たちが去ってしまうと、青年は自分が危険な状況に置かれている事に思いあたり、一刻も早く列車に乗ってこの町を脱出しようと考えた。しかし翌日の午前にやってきた列車はこの町の駅には停まらなかった。午後の列車もまた停まらなかった。 「彼は自分が失われてしまっていることを知った。ここは猫の町なんかじゃないんだ、と彼はようやく悟った。ここは彼が失われるべき場所だった。それは彼自身のために用意された、この世ではない場所だった。そして列車が、彼をもとの世界に連れ戻すために、その駅に停車することはもう永遠にないのだ」 千倉の病院から東京のアパートにもどった天吾は、この物語をふかえりに聞かせてやった。ふかえりは猫の町が何を意味しているのか、すぐに悟ったようだった。 「あなたはあなたの猫の町にいってきた。そして電車に乗って戻ってきた」とふかえりはいう。青豆にとって1Q84として現前した世界が、天吾にとっては猫の町として現れたのだ、と云う意味だ。だがいまのところ、天吾はその町に閉じ込められてはいない。その町はまだ、現実の世界に対して開かれている。そこが青豆の1Q84の世界とは異なるところだ。青豆にとっては、1Q84から現実の1984年の世界へ通じる扉は閉ざされたままなのだ。 だけれども、猫の町にいってしまったからにはお祓いをしなければならない、とふかえりはいう。そのためにはわたしたちふたりで猫の町にいかなければならない、ともいう。そしてそのためには自分を抱いてくれなければならないという。なぜなら「わたしたちはふたりでひとつだから」 こうしてふかえりと天吾は裸になって抱き合い、ふかえりは天吾の上に馬乗りになって、天吾のペニスを自分の未熟なヴァギナに導き入れるのだ。 天吾はしかし、猫の町の呪縛から逃れることはできなかった。天吾もまた青豆と同じように空に二つの月がのぼっている光景を目にすることになる。それは天吾が1Q84の世界に入り込んでしまったことを意味していた。 天吾が二つの月を見るようになった伏線として、天吾と青豆の、二人の10歳の時の記憶があった。彼ら小さな子供たちは、学校の教室のなかで、手を握り合った。天吾は青豆の手を握りながら、空に浮かんだ月を、教室の窓越しにみた。「そう、そこには月があった・・・おれはその時月を見ていたのだ。そして青豆もやはり同じ月を見ていた。午後三時半のまだ明るい空に浮かんだ、灰のような色をした岩塊。寡黙な一人ぼっちの衛星。二人は並んでその月を見ていた」 つまり月は天吾と青豆を結びつける触媒のようなものなのだ。そして二つの月は、空気さなぎの物語にも結びついている。二人は、現実の一九八四年の世界ではなく、1Q84というもう一つの世界においてでしか、再会することはできない、そのことを、月のこの二つのあり方が暗示している。 天吾は、病状の悪化した父親を再び見舞う。そして死に急いでいる父親が、検査のために寝ているベッドから連れ出された時に、空になったベッドの、父親の身体が残していったくぼみのなかに、繭のようなものが出現するのを目撃する。それは空気さなぎと同じものだった。そして驚いたことに、その繭の中には10歳の少女としての青豆が横たわっていたのである。 天吾が少女としての青豆と出会うことができたのは、彼が「猫の町」にいたからにほかならない。 |
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