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レキシントンの幽霊:村上春樹の短編小説集


村上春樹の短編小説集「レキシントンの幽霊」は、表題作ほか6篇の短編小説を収めているが、そのうち表題作と「七番目の男」は、「ねじまき鳥クロニクル」を書いた後に、その他は、「めくらやなぎと、眠る女」を別にすれば、「ダンス、ダンス、ダンス」を書いた後にそれぞれ執筆したという。そこには五年のブランクがあるわけだが、だからと言って、短編小説集として、まとまりがないという印象は受けない。というより、それぞれの作品がかなりユニークなので、相互の比較を論じることをナンセンスなものにしてしまうのである。これはのちの短編集「神の子どもたちは皆踊る」や「東京奇譚集」に比べての、この作品集の特徴である。前二者が統一したテーマのようなものを感じさせるのに、これにはそれがないのだ。

冒頭に登場する表題作の「レキシントンの幽霊」は、文字通り幽霊の話である。ボストンで暮らす日本人の主人公がアメリカ人の友人から、出張中に邸の留守番をするように頼まれる。そこで、仕事道具を持参して邸に乗り込んでみると、最初の晩に大勢の幽霊が現れて、居間でパーティを開く。その気配を感じた主人公は気味悪くなるが、何をしてよいのか思い浮かばず、そのまま自分の部屋に戻って寝てしまう。翌朝起きると外では雨が降っていた、という物語である。アメリカ人の友人が帰って来たあと、主人公は幽霊のことは一切触れず、友人のほうも幽霊が出なかったか、などと馬鹿げたことは聞かない。

このように、これは幽霊をめぐる話なのだが、幽霊にこだわっているわけではない。主人公は、映画館の中で映画を見るような感覚で、幽霊を見ている。映画と同じように、幽霊の存在は主人公の存在に対して大きなインパクトをもたらさない。いや映画以下のインパクトと言ってもよい。その幽霊たちを見る前と見た後では、主人公には何らの変化も生じないからだ。いったいあの幽霊たちは何だったのか、という問題意識もない。

問題意識を持たない、というのは村上の小説に出てくる主人公たちに共通した特徴だ。彼らはみな一様に、自分の人生をまるのままに受け入れて生きている。自分にとってなにか問題になりそうなことが起きても、それにくよくよ関わりずらうことはない。何かが起きても、それを深刻に受け止めないのだ。それが村上作品の登場人物たちの特徴なのだが、この短編集には一つだけ、問題意識にこだわる主人公が出てくる。「沈黙」の主人公がそれだ。

「沈黙」は今風にいえば「いじめ」をテーマにした作品だ。主人公が学校の中でいじめにあって、あわやつぶされそうになる。そこで主人公は、つぶされまいとして必死の努力をする。この「つぶされまい」というのがこの小説の主人公の強烈な問題意識なのである。これは生き抜こうとする話だから、問題意識というのも生ぬるいかもしれない。生きるための戦いの物語、そういったほうがいいかもしれない。

主人公には高校時代の同級生に嫌いな男がいた。その男の方も主人公を嫌った。憎しみというのは相互に伝播しあうもので、一方が憎しみの感情を抱けば、相手もまた憎しみの感情を返してくる。そんなものなのだ。そこで、主人公は憎しみの感情に流されて、その男を一度殴り倒したことがあった。殴られた男は主人公を激しく憎み、なんとかして復讐の機会を捉えたいと虎視眈々と狙うようになった。正面から反撃しないのは、主人公がボクシングをやっていて、腕力ではかなわないことをわかっているからだ。

高校三年の夏休みに同級生の一人が自殺した。その同級生の残した遺書のようなものには、もう学校にはいきたくないとだけ書いて言って、その詳しい理由は書いていなかった。

夏休みがあけると、主人公は教師に尋問のようなことをされた。自殺した同級生は誰かに頻繁に殴られては、金を巻き上げられていたという噂があるが、お前はボクシングをやっているよな、というような話だった。つまり主人公がボクシングをやっていることをもとに、殴ったのも主人公ではないかと、嫌疑をかけられているようなのだ。主人公は、この噂のもとは、例の男だとピンときた。

その後、警察からも同じような趣旨の事情聴取を受けたこともあり、同級生を殴って自殺に追いやったのは主人公ではないかという噂が学校中に広がったようだ。主人公はクラスメイトから徹底的に無視されるようになったのだ。

こうして学校でのいじめに遭遇した主人公は、必死になってそれに耐えようとした。卒業までわずか半年だ。だがその半年先が途方もなく先のことに思われた。このままでは半年持たないうちにつぶれてしまうかもしれない。

ある日主人公は、通学電車の中で例の男と遭遇した。電車の中は身動きもできないほど混雑していた。その中で二人はたまたま向かい合う形になった。主人公は向き合ったまま相手の目の中をじっと見つめた。重苦しい沈黙の時間が流れる。そのうち、相手に変化が生じた。その目つきが負け犬のような目に変ったのだ。

これをきっかけに、主人公は何とか立ち直ることができた。そして、その戦いの日々からひとつの教訓を学び取った。

「僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言い分を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思いあたりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどういう結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です」

村上作品の主人公としては、重い問題意識といえるだろう。

「トニー滝谷」という作品は、「トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった」で始まる。この小説は、トニー滝谷という変った名前の男が、一人の女性に恋をしたという物語である。

また「七番目の男は」、「・・・と七番目の男は静かな声で切り出した」で切り出される。これは少年時代に仲の良かった子どもを見捨てて死なしてしまったことで生涯罪悪感を抱き続けた男の物語である。七番目というのは、どんな順序の七番目なのか、それはこの小説の本質的な問題とはされていないらしく、作者によって言及されることはない。

この小説の七番目の作品である「めくらやなぎと、眠る女」は、最初1983年に書かれたが、その後朗読会で読む機会を持ったのを契機に書き換えたという。朗読会向けに、音楽的なリズム感が感じられる作品だ。その冒頭部は、「目を閉じると、風の匂いがした。果実のようなふくらみを持った五月の風だ」という具合に、まるで散文詩を思わせるような表現だ。




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