村上春樹を読む
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加藤典洋「村上春樹は、むずかしい」


「村上はいまや文化を論じるうえでの格好の素材、持論展開のうえでの好個の話題提供者だ。そこでの彼の本質は文化象徴であり、また作品の本質は、商品である」。このように加藤典洋は言って、村上春樹の読まれ方について指摘したうえで、それらに自分の読み方を積み重ねるようにして提示する。彼の意図は、「どこに村上の文学的な達成があるのかというような基本的な議論」を提供することにあるらしいが、どうもこの本を読んだ限りでは、加藤は村上を格好の素材として持論を展開してみせたという印象が伝わってくる。もっとも、すぐれた文学というものは様々な読み方に向かって開かれていると村上自身が言っているので、村上は加藤のそうした読み方を否定することはしないだろう。

加藤の村上の読み方というのは、村上の小説世界を村上の実際の生き方が反映されたものと前提するようなものらしい。村上の作品は、純粋な想像力の所産というよりは、村上の実人生が色濃く投影されたものである。したがって村上の小説世界を理解するためには、村上の生き方や考え方について知る必要がある、ということになる。加藤は、そうした村上の生き方やら考え方は、時間の経過につれて変化してきており、それに対応する形で小説世界も変化してきたと考えているようだ。その変化を単純化して言えば、デタッチメントからコミットメントへの変化ということになる。つまり社会から一歩身を引いて、自分の個を大事にする生き方から、社会の一員としての自覚を持って、積極的に社会にかかわるような姿勢への変化が、村上の実人生においても、また小説世界においても平行して見られる、というわけである。

加藤はデタッチメントから生まれる小説世界は「小さな主題」を、コミットメントから生まれる小説世界は「大きな主題」を取り上げるというようなことをいう。小さい、大きい、という言葉は、そのまま価値の序列をあらわしてもいるようで、加藤によれば、本物の小説家は「大きな主題」を取り上げるべきだということらしい。だが村上はいまだに、大きな主題に取り組んでいない。小さな主題を膨らませて大きく見せようと努力するようにはなってきたが、まだ不十分だ。そのひとつのあらわれとして、村上はいまだに日本の作家や批評家たちとの交流をこばみ、信奉者の輪のなかに閉じこもっていることを加藤はあげている。これは社会にコミットする者がすることではない。そう加藤はいうのだが、そのわけは、加藤自身も、村上に対していくら好意的な批評をしても、村上からなんらの反応が返ってこないことに、いらだっているようなのだ。加藤の村上への思い入れには尋常でないものがあるようなので、村上からのこうした仕打ちは、癪に障るのだろう。

村上のなかのコミットメントの傾向は初期の作品にも見られないわけではない、といって加藤は「中国行きのスロウボート」以下三篇の初期の短編小説をあげている。これらの小説は従来の村上論では重視されることがなかったので、加藤のユニークな着眼点だといえよう。この本が村上春樹論になにか付け加えたものがあるとすれば、この部分だろう。この三篇のうち、「中国行きのスロウボート」は村上が中国人に対して抱いている罪責感のようなものを、「貧乏な叔母さんの話」はプロレタリア階級への共感を、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は70年代に壊滅した新左翼への幻滅感を表明したものだと加藤は分析している。これらの分析がなぜ村上のコミットメントとつながるのか、筆者などにはいまひとつわからない。おそらく村上本人にしても、加藤の指摘の意義はわからないのではないか。

村上の代表的な長編小説の個々について加藤はそれぞれ加藤らしい読み方をしている。それは、こんな読み方もあったのか、というような感慨を読者に抱かせるものだが、それ以上のものではないだろう。加藤の読み方の中で、ひとつ面白かったのは、「1Q84」を未完の小説だと言っていることである。何故未完かといえば、それは青豆の物語がまだ終わっていないからだという。だから村上にはこの物語を完全に終わらせる責務があるはずだというのが、加藤の村上に対するもう一つの注文である。

ところで、コミットメントといい、大きな物語といい、加藤が村上に最も望んでいることは、社会に対してもっと政治的に明確なメッセージを表明しろということらしい。加藤は村上に大江健三郎を対峙させ、大江が満身創痍になりながら政治的な発言をしているのに対して、村上はあまりにも微温的だと言いたいようなのである。

もっともそう言いながらも加藤が村上に惚れ込んでいるらしいことは、文章の節々から読み取れる。その惚れ込みようが、この本をある程度ホットなものにしている。批評がホットになることの是非は措いて、加藤の意気込みはそれなりに評価できる。







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