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村上春樹「小澤征爾さんと音楽について話をする」


村上春樹の「小澤征爾さんと音楽について話をする」を、非常に興味深く読んだ。とにかく面白いし、また勉強にもなる。村上春樹が音楽好きなことは良く知られているようだが、それにしてもよく知っている。音楽の専門家たる小澤さんが舌を巻くほどだ。それでもって、小沢さんから音楽についての様々なことを聞き出している。それらのなかには小澤さん自身が日頃意識してこなかったことで、村上から水を向けられて初めて言葉になったようなこともあるという。

だから小澤さんはあとがきの中で、次のように書いて村上に脱帽している。「音楽好きの友人は沢山居るけど、春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている。クラシックもジャズもだ。彼はただ音楽好きというだけでなく、よく識っている。こまかいことも、古いことも、音楽家のことも、びっくりする位。音楽会に行くし、ジャズのライブにも行くらしい。自宅でレコードも聞いているらしい。ぼくが知らないこともたくさん知っているので、びっくりする」

その豊かな知識を縦横に発揮しながら、村上は音楽についての壺を得た質問を発し、小沢さんに考えさせたり、思い出させたりしながら、興味深い発言を引出している。まさにソクラテスが自身を産婆に譬えたような、的を得た質問なのだ。的を得た質問は会話を豊かにし、深いものにする。そこから思いがけない言葉が生まれてくる。そこを読者である我々は、言葉を堪能するばかりか、音楽についての知見というか、知恵のようなものが身に着くのを感じるわけなのだ。

村上の質問に刺激された小澤さんは、単身欧米に渡って武者修行をしていた頃をありありと、懐かしい気持ちいっぱいに思い出す。カラヤンに弟子として仕えたこと、バーンスタインをレニーと呼びながら、彼から多くのものを学んだこと、親しくした大勢の人々、さまざまなジャンルの音楽に意欲的に挑戦したことなど。小澤さんが楽しそうに語るところを聞くと、こちらまで楽しい気分になるし、彼が世界中の様々な人々から愛されていたという事実に思いあたる。やはり人柄がそうさせるのだろうか。

世界中を股にかけて音楽活動を展開し、しかもそれについて高い評価を受けた日本人としては小沢さんが最初の人だ。最初で最大の日本人の音楽家といってもよい。日本人が世界中で活躍するようになったことについては、小沢さんが露払いとして行ってきたことが決定的に作用していると思う。その意味でも小澤さんは偉大な日本人の音楽家だ。いまでは、日本人以外にも多くのアジア人の音楽家が世界的な活動をしているが、小沢さんは日本人以外のそうしたアジアの人々にも恩恵を及ぼしているような気がする。

そんな小澤さんと村上が知り合ったのはほんの偶然からだったらしい。小澤さんの娘さんと村上の奥さんが知り合いで、彼女らを通じて二人も接触するようになったのだが、すくなくとも村上の方では、すぐに小澤さんを好きになったという。その理由として、村上は、小沢さんと自分との間に、三つの共通点があることをあげている。

まず一つ目は、二人とも「仕事をすることにどこまでも純粋な喜びを感じているらしいこと」二つ目は「今でも若い頃と同じハングリーな心を持ち続けていること」そして三つ目は「頑固なことだ。辛抱強く、タフで、そして頑固だ。自分がやろうと思ったことは、誰が何と言おうと、自分が思い描くように」やることだ。その上で村上は次のように総括する。

「僕はこれまで、人生の過程でいろんな人々に出会い、場合によってはある程度の付き合いをしてきたけれど、その三点に関して、ここまで<うん、それはわかるよなあ>と自然な共感を抱ける人に巡り合ったことはなかった。そういう意味では、小澤さんは僕にとっては貴重な人だ。そういう人がちゃんと世の中にはいるんだと思うと、なんとなくほっとできる」

こうした心からの共感が、この対話を実り多いものにしたのだろう。

小澤さんの頑固な生き方のなかでももっとも頑固にこだわっているのは、若い人の育成らしい。育成といっても、小澤さんは指導者のような態度で若者に臨んでいるのではないらしい。少し年長の兄貴分と云った態度で、自然に若者と接している。そのいい例として、小沢さんが毎年スイスのレマン湖のほとりで夏の間に開催してきた音楽塾だ。この音楽塾に、村上は特別に参加させてもらって、その様子を事細かく紹介しているが、そこでの小澤さんはまさに、全身全霊をかけて、若者のために自分のすべてをささげているといった様子に、村上の目には映ったようだ。

しかも小澤さんはこうした活動を手弁当でやってきたというのだ。音楽家にとっては、夏は唯一自分のために時間が取れる、つまり休暇が取れる季節にかかわらず、小沢さんはそれを若者の育成のために費やしている。しかも手弁当で。村上さんが参加した時には、病み上がりで体調がまだ不十分ななかで、それこそ身を削るようにして、若者のために自分の持てるものを惜しみなく与えた。何がそうさせるのだろう。

やはりそれは、音楽というものが、人から人へと身を以て伝授されていくのであるし、またそうでなければならない、ということを小澤さんが良く理解しているからなのかもしれない。小澤さん自身が、桐朋の齋藤先生からそのように教わってきたのだし、またカラヤンやバーンスタインからもそのように教えられてきた。今日の小澤さんがあるのは、そうした先人たちの賜物なのだ。そのように自身が了解しているからこそ、今は自分が若いものに自分の持てるものを伝える時なのだ、ということを了解できるのではないか。

音楽については基本的には素人にすぎない村上が、その芸術上の伝承の秘密を明らかにしたわけである。






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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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