村上春樹を読む
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もし僕らのことばがウィスキーであったなら


20世紀の最後に近い年に村上はスコットランドとアイルランドに旅した。スコットランドではシングル・モルト・ウィスキーを、アイルランドではアイリッシュ・ウィスキーを味わうのが目的だったようだ。村上は小説の中ではもっぱらビールを飲む場面ばかり書いているように映るが、個人的にはウィスキーも好きだ、ということがこのエッセーを読むとよくわかる。村上が、そのウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に共有して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたことは、題名からもわかる。「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という題名には、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろか、という思いがこもっているのである。無論言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉は言葉に過ぎないからだ。それでもなお村上は、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢想し続けるのだという。

スコットランドといっても、村上が訪れたのはヘブリディーズ諸島の一つアイラ島という島だ。どうしてこんな島を選んだのか。それはこの島がシングル・モルトの聖地と言われているからだ。そう村上は言う。ウィスキーはもともとアイルランドで生まれて、それがスコットランドに伝わり、そこから世界中に広まったのだが、アイラ島はアイルランドとスコットランドの境にあるため、ウィスキー文化が伝播する架け橋になったとともに、そこ自体がシングル・モルトの一大産地となった。いまではスコッチのブレンドウィスキーの大部分に、アイラ島のシングル・モルトが使われているという。

アイラ島のシングル・モルトにはどんな味がするのか。それは自分で実際に飲んで見なければわからないわけだが、あえて言葉で言えば、独特の味がする、ということらしい。赤ワインを水で割らないように、ここのシングル・モルトも水で割ってはいけない。もし水が欲しければ、シングル・モルトと水を別々に飲むべきである。

アイラ島がシングル・モルトの聖地になった背景には、大麦と水とピートが存在するのだと村上は言う。この三つの要素が幸福に合体して類稀なシングル・モルトが生まれるのだということらしい。大麦と水が上等なシングル・モルトの条件だとは筆者にもなんとなくわかるが、ピートがなぜこれに加わるのか、どうもよくわからない。こう書いている村上自身にもわかっている形跡がない。シングル・モルト製造過程におけるピートの重要な役割についての言及がないからだ。

アイルランドでは村上は色々なブランドのアイリッシュ・ウィスキーを飲み比べたようだ。アイラ島ではシングル・モルトの味にこだわっていたが、ここでは味よりも、ウィスキーの飲み方に拘っている。たとえば、ロスクレアというアイルランド中部の小さな町で見聞した地元の人のウィスキーの飲み方を実に丁寧に観察している。その人は、ややくたびれているとはいえ、きちんとした立派な身なりで単身パブに入ってくると、一杯だけアイリッシュ・ウィスキーを注文して、それを、さもまそうに、時間をかけてゆっくりと飲んだ。その飲み方には、はたで見ていて儀式的な荘厳ささえ感じられた。その人はウィスキーを飲み終えると静かに立ち去ったのだが、その去り方もまた儀式的な雰囲気のものだった。この人にとっては、パブで一杯のアイリッシュ・ウィスキーを飲むことは、人生にとって欠かせない重要な要素であるように思われる。それほどアイリッシュ・ウィスキーはアイルランド人の生活に溶け込んでいる、ということらしい。

アイルランドのさる蒸留所を訪ねた際に、村上は記念に一本のアイリッシュ・ウィスキーをもらった。20世紀の最後の夜に、世紀の交代を記念して飲んでくれと言われながら。ところが村上はそのことを失念してしまって、とうとう飲み損なってしまったというのである(少なくともこの文章の執筆時点では)。

記念にもらったアイリッシュ・ウィスキーは飲み損なってしまったが、アイルランドのパブの中で見聞したウィスキーの飲み方はまだ生き生きと記憶に残っている。それを思い出すのは村上にとってとても素敵なことらしい。

なお、この旅行には村上は細君を伴い、カメラマン(カメラウマン)として活躍せしめたそうだ。上等なカメラだったらしく、写真はよくとれている。






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