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さきがけとあけぼの:村上春樹「1Q84」を読む


「1Q84」の中に出てくる二つの謎の集団「さきがけ」と「あけぼの」。「さきがけ」は新興のカルト教団ということになっており、「あけぼの」はそこから分派した左翼冒険主義者たちという設定だ。一見して「さきがけ」はオウム真理教を彷彿させ、「あけぼの」が巻き起こす騒動は「あさま山荘事件」を思い起こさせる。しかしそこに、パラレルな相似性があるわけではない。オウム真理教事件も浅間山荘事件も、単なるヒントくらいの扱いをされているに過ぎない。

この二つの集団の組織者として、ふかえりの父親が登場してくる。彼は60年代末から吹き荒れた左翼運動に深くかかわり、それが挫折した後、山梨県内の原野にコロニーを作って、原始的な共同生活を始めた、ということになっている。ヤマギシズムのパロディのようなものだろうか。

そのコロニーはやがて二つに分裂する。学生運動の延長として左翼冒険主義的な考えから抜け出せない連中はコロニーを出て過激な運動を再開するようになる。一方コロニーの本体の方は、ある時期から厳格なカルト集団へと変身していく。そのきっかけとなったのは、リーダーの娘ふかえりが、リトルピープルと空気さなぎを呼び出したことだ。空気さなぎから生まれてきたドウタが巫女の役割を果たし、リーダーに数々の神託を告げるようになったのだ。リーダーはその神託を垂れることで、強力なカルト指導者になったのだった。

天吾も青豆も、このリーダーとのかかわりから、互いに結びつきを深めていく。というより、リーダーが二人を1Q84の世界に呼び寄せたのだ。

天吾のほうは、ふかえりとのかかわりを通じて、戎野という隠者のような人物と知り合うが、その戎野は7年前にふかえりを保護して以来、えりの父親(リーダー)の行方を追い求めながら、なかなかつかめないできた。彼はふかえりを世間の注目にさらすことで、リーダーからのコンタクトを期待するのだ。

一方青豆の方は、老婦人からこのリーダーの暗殺を依頼される。老婦人の調べでは、この男は何人もの少女をレイプして深く傷つけてきた。自分自身の娘、つまりふかえりまでレイプするような非情な人間だ。このまま生かしておいては、今後も多くの少女が犠牲になるに違いない。だから早くあの世に送り込んでやらねばならない。

青豆は、老婦人とタマルが設定した段取りに従って、ホテルの一室でリーダーと会うことになる。そこで彼女は隙を見てリーダーの背後にまわり、彼の首の裏に針を打ちこんで、一瞬のうちにあの世に送りもうとするのだ。

リーダーの身辺には二人の屈強の男が見張っている。もししくじれば、青豆は彼らによって拘束され、ひどい拷問を受けることになるだろう。

青豆が初めて見たリーダーは、彼女に強烈な印象を与えた。身体が頑丈なこと以上に、眼光の鋭さが青豆を圧倒した。「その男には、彼女の身体の隅から隅までを見渡すことができるようだった。一瞬のうちに身に着けている何もかもをはぎ取られ、まる裸にされてしまったような気がした。その視線は皮膚の上だけではなく、彼女の筋肉や内臓や子宮にまで及んでいた。この男は暗闇の中で目が見えるのだ、と彼女は思った。目に見える以上のものを彼は見ている」

実際のリーダーは網膜に問題があって目が良く見えないという設定になっている。身体は頑丈で、筋肉は岩のように硬く、髪が長かった。鼻が大きく、顔の大部分を占めている。それとは対照的に両目は深く窪んでいる。しかし顔だちは全体に整った印象を与え、静謐で知的な雰囲気も漂わせている。だがそこには「なにかしら特異なもの、尋常でないもの、簡単には心を許せないものが存在した」

こう書くことで村上は、リーダーの印象を、半ばはオウム真理教の麻原とだぶらせつつも、麻原とは異なるものも付与したように受け取れる。

リーダーは青豆の意図をことごとく見抜いていた。そればかりか彼は、自ら進んで青豆の手にかかり、穏やかに死ぬことを願っている。青豆は驚きかつ恐れた。そしてリーダーを殺害する気力を失いかけた。しかし、リーダーのほうは死ぬ覚悟を捨てるわけにはいかなかった。彼は是が非でも青豆の手によって、穏やかに死ぬことを願っているのだ。

死んでいく前にリーダーは、1Q84の世界で天吾と青豆がどのような運命にさらされているかについて暗示を与えてくれた。

リーダーはいう。「君たちは入るべくしてこの世界に足を踏み入れたのだ。そして入ってきたからには、好むと好まざるとにかかわらず、君たちはそれぞれの役割を与えられることになる」

この世界に二人が入ってきたのは、互いにひきつけあい、出会うためだとリーダーは解説する、1984年の世界に居続けては決して起こらなかったことがこの1Q84の世界では起こる、そのひとつは二人が出会うことだ。だが二人は共に生きたまま結ばれ合うことはできない。二人のうち、どちらかが死なねばならぬ。天吾が生き残るためには青豆が死なねばならない。青豆が生き残れば天吾が死ぬことになる、とリーダーは言う。その上で、青豆はどちらかを選択しなければならない、と謎めいたことをいうのだ。

「もし君がそのまま1984年に留まっていれば、こんな選択を迫られるようなことはなかったはずだ。しかしそれと同時に、もし1984年に留まっていれば、天吾君が君のことをずっと思い続けてきたという事実を、君が知るすべはなかっただろう」

この選択のうちで、天吾を生かすために青豆が死ぬということは、リーダーを殺害することとセットになっている。リーダーを殺すことによって、青豆は教団から追跡を受け、確実に殺されるだろう。しかしそのことによって、天吾は教団にとっては意味のない存在に転嫁し、追求されることはないだろう、というのだ。青豆は結局、天吾を救うためにリーダーをあの世に送り込むことを選ぶのだ。

「仕事を片付けてしまいましょう、と青豆は穏やかにいった。私はこの世界からあなたを排除しなければならない
「そしてわたしは与えられたすべての痛みを離れることができる」

青豆がリーダーの頸の後ろに針を打ちこんだとき、外界ではすさまじい嵐が吹き荒れ、ふかえりは天吾の上に跨って、彼のペニスを自分のヴァギナに導き入れていたのである。青豆が処女懐胎をしたのはその瞬間だった。

ところで、リーダーがなぜ死を急いだか、釈然としない部分も残る。一つには耐えがたい痛みに苛まれて生きることがつらいとリーダーに言わせているが、宗教指導者にとって、痛みは致命的ではないはずだ。むしろ痛みを通して救済を解くことができるという点で、痛みはプラスの意味こそもて、マイナスにはならないはずだ。

文面上では明示はされていないが、実はリーダーには宗教指導者として執拗な霊的能力が失われてしまった、そのことについて絶望したからこそ、彼は消えていくことを選んだ、そうも受け取れそうなのである。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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