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村上春樹、河合隼雄に会いにいく

対談集「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」は1994年に当時アメリカ滞在中だった両氏が、河合氏の滞在先のプリンストンで行った二日間にわたる対談を記録したものだ。河合氏によるあとがきにあるとおり、村上春樹が書き上げたばかりの「ねじまき鳥クロニクル」について語るのが主な目的だったらしいが、それにとどまらず話題はいろいろな方面に及んでいる。

筆者は両氏の文章に非常に親しんでいる方だが、この対談集ではおもに村上の発言、とりわけ「ねじまき鳥クロニクル」を理解するためのヒントになりそうな発言に注目した。

筆者が村上の発言の中からとりあえず感心したものは、一つには執筆の動機を巡るもの、もう一つは、彼の小説がたどってきた変化の中で「ねじまき鳥クロニクル」のとっている位置取りみたいなものについてだった。

村上は小説を書き始めた理由を次のように言う。

「ぼく個人のことをいいますと、ぼくという人間は、自分ではある程度病んでいると思う。病んでいるというよりは、むしろ欠落部分を抱えていると思います・・・ぼくの場合は、三十を過ぎてものを書きはじめて、それがその欠落を埋めるためにひとつの仕事になっていると思うのです」

つまり村上はものを書くという行為を、自分の欠落を埋めるための行為だという。その行為はだから自分自身にとってある種の自己治療としての側面を持っている。ものを書くという行為は、村上にとっては心を癒す行為でもあるわけだ。

そんな村上にとって、物語を書く行為にはあらかじめ想定した到着点のようなものは持たないで始めるらしい。書くという行為そのものが自己目的化しているからだろう。だから村上の小説は非常に長くなる傾向がある。しかし書いているうちに、物語そのものに結末をつけることはできる。プロの作家として当然のことだ。だがその結末は、物語を終わらせるための工夫であって、絶対にそれでなければならないというものでもないらしい。

書く行為が自己目的化していることが、こんなところからよく読み取れる。

村上は、書くという行為を通じてまた、自分の精神を強化してもいるらしい。だからか、村上は夢を見ることがないという。

これに対しては、河合隼雄が興味深い返事をしている。

「それは小説を書いておられるからですよ。谷川俊太郎さんも言っておられました。ほとんど見ないって。そりゃああたりまえだ。あなた詩を書いているもんって、ぼくは言ったんです」
「夢を見ないものなのですが、別の形で出していると」
「やっぱり見にくいでしょうね。<ねじまき鳥クロニクル>のような物語を書かれているときは、もう現実生活と物語を書くことが完全にパラレルにあるのでしょうからね。だから、見る必要がないのだと思います」

次に、作家としての自分の営みの中で、「ねじまき鳥クロニクル」という作品がどのような位置取りを占めているかについて、村上はそれが自分にとっての転換点になったといっている。それは今までの自分から一歩踏み込んで、社会に対してのコミットメントを意識する営みになったというのだ。

「ねじまき鳥クロニクルはぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということが関わってくるんでしょうね」

そのコミットメントは無論、人と人との関わり方を意味しているが、それはお互いに共通したものを土台にして手をつなごうというような安易な関係ではなく、自分の井戸を掘っているうちに、底のところで他者と深くかかわりあうようになったというような深い関係に支えられたコミットメントだという。

「ぼくの場合は、一人の人間のことを必死になっていたら、世界のことを考えざるをえなくなってくるんですね。結局、深く病んでいる人は世界の病を病んでいるんですね。それでぼくはなんとなく社会に発言するようになってきたんですよ」

村上のコミットメントはさまざまな形をとるが、「ねじまき鳥クロニクル」では、暴力、セックス、死といったものへのこだわりとして現れる。暴力と死の問題は戦争を見つめなおすことにつながる。そこが、村上がノモンハン事件を取り上げた理由だという。

この闘いを日本人は本当に反省したとは言えない、日本人は自分たちを戦争の加害者と一方的に決めつけて、永久平和などといっているが、それは欺瞞的な行為ではないか。だから日本の社会は基本的には何も変わっていないのではないか、これが村上の深い問いである。

村上の村上らしいところは、そうしたコミットメントを論理的に整然と提示するのではなく、物語の進行の中で何気なく展開するところにある。だからどうしてそんな暴力を描くのか、人に聞かれても村上は整然とした答えを用意することができない場合が多い。

「たとえば、第一部の終りで皮剥ぎの場面がありましたが、どうして皮剥ぎを書くのかというのもぼくにはよくわからないのです。それから中国人の虐殺の場面があるでしょう。どうしてかわからないけれども、そういうのを書いていくのです」

以上村上の発言を中心にして、この対談の中身を分析してみたが、河合隼雄氏の発言にも深い含蓄があることはいうまでもない。村上は河合氏にリードされる形で、自分の中に漠然と抱えていた思いを表に出していると思われる個所が、結構あるように思えるのだ。







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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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