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現役を退いて隠遁生活に入って以来読書三昧の日々を過ごしている。そんな亭主を見て筆者の家内は、毎日一人で家に閉じこもってよく退屈しないわね、と冷やかすのだが、筆者には一向に退屈する理由が見当たらない。もともと孤独を愛する性質で、一人でいるのが全く気にならないばかりか、世俗の騒音から免れて毎日読書にいそしむ生活が非常に気に入っているのである。気に入った作家の洒落た文章を読むと心が洗われるし、たまには自分の考えを下手な文章にして乙にいるのも悪くはない。最近は村上春樹の文章が気に入って、よくこれを読んでいる。これだけでも毎日の屈託など飛ばしてくれるよ、そう家内に言ったところが、村上春樹って偏屈親爺でしょ、そんなもの読んでどこが面白いの?と言う。へえ、世の中には村上春樹を偏屈親爺と思っている人もいるんだ、と筆者は聊か驚いた次第であったが、まあ嗜好というのは人ごとに違って当たり前、筆者のように村上春樹が面白い感じる者がいれば、筆者の家内のように偏屈親父の偏屈な文章と感じる者がいてもよいわけだ。 筆者などは、村上春樹には筆者より長生きしてもらって、いつまでも面白い文章を提供して欲しいと思っているのだが、最近は、村上の文章でまだ読んでいないものが底をつくようになってきて、もし未読のものがなくなったら、一度読んだものをもう一度読み返すしかないかな、と思っている。今読み終わった「サラダ好きのライオン」は、未読の村上本の最後に近い一冊だ。 これは「村上ラジオ」シリーズの第三弾で、2010年の春から一年間若い女性向けの雑誌 anan に連載したエッセーをまとめたものだ。読んでいると、「『今度の総理大臣の脳味噌は半分しか詰まっていない』と思うのと、『今度の総理大臣の脳味噌は半分も詰まっている』と思うのでは、僕らの人生の様相は・・・」などという文章が出てくるから、それなりに時代を感じさせる。ちなみに村上がこの文章で言及している総理大臣とは誰のことだろう、と思ったところ、まず浮かんだのは「3Kが読めない」と言われた某総理大臣のことだった。しかしこの文章が雑誌に載ったのは民主党政権の時代のことだから、もしかして「宇宙人」といわれた某総理大臣かもしれない、などと考え込んでしまった。 もっとも村上の文章を読んで考えさせられるというのは非常に珍しいことで、だいたいは文の彩に感心してほくそ笑んでしまうということが多い。たとえば、この本の冒頭で出てくるエッセーの中で、「眠れない夜は僕にとって、サラダ好きのライオンくらい珍しい」という一文が出てくるが、そんなのを読むとつい口元がほころんでしまう。 この一文からは、村上が非常に寝つきのよい男だというメッセージが伝わってくるが、寝つきのよさでは筆者も負けてはいない。布団に入るとすぐグーグーと寝てしまうことは、家内もあきれるほどであるし、今でも毎晩八時間以上布団の中に入っている。その他に昼飯を食ったあとに午睡する。村上も午睡をするそうだが、ソファのうえで三十分ほど寝るだけだそうだ。筆者の場合には最低でも一時間以上寝るし、日によっては二時間以上寝ることもある。そんな場合には流石に夜は寝つきが悪くなる。昔はそんなことはなく、何時間でも気持ちよく寝られたものを、そうはいかなくなったのは、やはり年を取ったせいだろうと思っている。 年をとると良いこともある、と村上は言う。その例として村上は「傷つきにくくなる」ことをあげている。傷つきにくくなるというのは、精神的にも肉体的にも言えることで、精神的には、開き直りというか、ずずしさというか、要するに抜け目がなくなることを意味するようだ。一方肉体的に傷つきにくくなるというのは、痛みを感じなくなるということらしく、要するに鈍感になったということらしい。 筆者の場合にはなかなか鈍感になれない。かえって敏感になった部分もある。たとえば最近は家の中を歩いていてあちこちにぶつかることがあるが、そうした折には眼が飛び出るくらいの痛さを覚えることしばしばである。昔は腕や足をなにかにぶつけたくらいでは痛くもかゆくも感じなかったが、いまでは全身が震えるほどの痛みを感じるのである。これはどういうメカニズムでそうなっているのか、そのうち痛みの専門家に聞いて見たいと思っている。 村上は筆者とは同じ学齢で、そういう面で彼の言うことには他山の石といった趣があるのだが、その老人仲間の村上が「愛欲の根」を語るのは面白い。村上は愛欲を主として人口問題に関連つけて論じているが、その点では建設的な議論をしているのだが、建設的に過ぎて、愛欲をエネルギー問題解決に役立てようという提案までしている。若者の愛欲のエネルギーを有効に利用する為に、「献血手帳」に倣って「献欲手帳」を作ったらどうかというのだ。 「たとえば元気いっぱいの男子高校生が『献欲手帳』を持って、『献欲センター』にやってきて、『ここのところ性欲が余っていますので、献欲したいんですが』と言う。きれいな看護婦さんが、『はい、ありがとうございます。さっそく抜かせていただきますね』ということで、性欲がその場ですっかり電力化され(仕組みはよくわからんけど)、そのワット数だけ『献欲手帳』にポイントが加算される、なかなか良いシステムだと思いませんか?」 こんなことを言うから、淑女の中には村上を「偏屈親爺」と決め付ける人も出てくるのかもしれない。 |
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