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シドニー!:村上春樹のオリンピック観戦記


「シドニー!」は、2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。村上はこの仕事を、スポーツ情報誌「ナンバー」の依頼があって引き受けたそうだ。日頃お祭騒ぎが大嫌いで、オリンピックなど退屈極まりない見世物だと思っていた村上が何故この仕事を引き受けたか、あまり説得力のある説明はない。なんとなく引き受けたというのが真相のようだ。何しろ、9月15日の開会式に始まり10月1日に終わるオリンピックの全期間を含め、その前後の数日をあわせ滞在期間の全日にわたって他人の金で旅行できるわけだから、これは儲け物と思ったのかもしれない。もっともあてがわれたホテルはエコノミークラスで、大会期間中毎日30枚以上に及ぶレポートを書かねばならぬハードなスケジュールが条件ではあったが。しかしそうした条件を差し引いても、このシドニー滞在は村上にとって損ではなかったようだ。彼は彼なりにオリンピックを楽しんだようだし、400ページを超える大部の旅行記を残すこともできた。

村上は、自分自身がマラソンをやっていることもあって、主に陸上競技に関心を払っている。その他の競技については、全く関心を示さないか、示したとしてもマイナーな扱いだ。陸上競技以外では、野球にマイナーな関心を示したほかは、柔道やレスリング、体操など、日本のお家芸とされるものにも殆どまともな関心を示していない。そんなことに関心を示す時間があったら、これを機会にオーストラリアの歴史を調べたり、オーストラリアの雄大な景色を楽しんだりしたほうがましだ、そういう姿勢が伝わってくる。

村上はオーストラリアの開拓の歴史に興味を覚えたようだ。とくに植民者によるアボリジニーの扱いについて強い関心を示している。オーストラリアでは、アメリカのような、植民者による原住民の大量虐殺という事態は起っていないようだが、それでも原住民を人と思わないような植民者たちの傲慢ぶりは決して劣らない。原住民との衝突が大規模化しなかったのは、オーストラリアには広大な不毛の地があって、原住民たちが白人との衝突を恐れて、そこへ非難したからだ。もしオーストラリアがもっと肥沃な地だったら、土地をめぐって大規模な衝突が起きていただろう。

そんなアボリジニーと白人との不幸な関係を反省し、両者の融和について考えさせるような出来事がこの大会中に起った。アボリジニーの一女性選手が、最後の聖火ランナーをつとめたうえに、一万メートル競争に優勝したのだ。その優勝を、オーストラリアの人々は、人種の違いをこえて喜び合った。それがオーストラリアにとっては、一つの不幸な時代を乗り越え、次の新しい時代に向かって飛躍する為の大きな節目となった。その節目を自分が歴史的な証人として、いまここで目撃できることはハッピーだ、そんなふうに村上は言うのだが、そのへんは村上なりのヒューマニズムを見せられる感じがする。

アボリジニーの問題を別にすれば、オーストラリアはおおむね村上の気に入ったようだ。村上は外国に対してかなりシビアなところがあり、彼の旅行記には、訪れている国をくさす記事が非常に多いのだが、オーストラリアについては、あまりそうしたマイナスの言及はない。暮らしている人々は大らかだし、食べものもうまい。「レストランの料理はいける。ワインもおいしい。ビールもおいしい」のだそうだ。

この本は、シドニーでの滞在とオリンピック・ゲーム観戦記からなる本体のほかに、マラソンランナーの有森裕子と大伏孝行についての、インタビューを中心にした記事が付随している。大伏は金メダルを期待されてシドニーに来た選手だから、彼について特別の企画を盛り込むのは、おそらく「ナンバー」編集部の意向だったのだろう。事前インタビューをしてゲームに臨み、その結果金メダルを取れれば、雑誌の売込みにとっては、理想的な運び方といえる。もっとも大伏は期待に応えられず、途中棄権という最悪の結果に終わってしまったが。

一方有森のほうは、シドニーのメンバーには選ばれていない。この大会には、有森の後輩格の高橋尚子が出場し優勝している。にもかかわらず高橋ではなく、有森にこだわった理由は何か。村上は明言していないけれど、同じマラソンランナーとして、有森の生き方に共鳴したのかもしれない。有森は高橋のように天才肌ではない。才能の不足を努力で補うタイプのランナーだ。そんな彼女に村上が共鳴するわけは、なんとなくわからないでもない。

長い滞在期間が過ぎて日本へ帰国する段になって、村上はこの旅を振り返ってこう書く。「この先、わざわざ自分で金を出してオリンピック・ゲームを見に行くことなんて、二度とあるまい・・・(それほど)僕にとってシドニー・オリンピックは、とことん退屈ではあったが、それを補ってあまりあるくらい~あるいはやっとこさ補うくらいには~価値あるものだったということができる。長く続いた結婚生活の、ある種の薄暗い側面と同じように」

何を書いているのかよくわからないのは、作家の書いた文章だからだろうか。








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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012-2016
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