村上春樹を読む
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村上ラジオ


「村上ラジオ」は、2000年の春から一年間、女性向け雑誌「anan」に連載されたエッセーを集めたものである。この雑誌は若い女性をターゲットにしたもので、そういう点ではかなり特殊な読者層向けの雑誌といってよいが、村上はそれまでも、「アルバイトニュース」とか、それ以上に特殊な読者向けの雑誌にエッセーを連載する癖があったので、そんな彼にとってこれは別に変ったことではなかったようだ。誰が読者なのか、そんなことは気にならないといった様子で、自分の書きたいことを淡々と書いているといった雰囲気が伝わってくる。

村上の雑誌の連載には大体挿絵が添えられるというのが定番になっていて、この連載では大橋歩の版画が添えられた。大橋は若くして平凡パンチの表紙の絵を担当した人だ。それを村上は覚えていて、是非彼女の版画を自分の文章に添えて欲しいと注文したということだ。その理由がふるっている。「僕がまだ猿同然の脳味噌しか持ち合わせない高校生だったころ、大橋さんは若くして既に『平凡パンチ』の表紙を描いておられた。僕は毎週『平凡パンチ』を買って読んでいたものだ」。そんな彼女に挿絵を描いてもらうのが、「とても励みになった」というのだ。

筆者は村上ほど「平凡パンチ」を愛読していなかったので、表紙の絵がどんなものだったか思い出せないし、ましてやそれを描いていたのが大橋歩だったなどと全く知らなかったのだが、たしかに「平凡パンチ」は面白かったように思う。筆者の高校の国語の教師なども、正しい日本語を学びたかったら、是非「『平凡パンチ』を読みたまえ」と言っていたものだ。

先に、村上は読者のことを気にしないで自分の書きたいことを書いているといったが、中には読者、つまり若い女性を意識した文章も出てくることはある。たとえば、滋養のある音楽の話だとかリストランテの夜のことだとかである。猫好きな村上は猫のことも話題に取り上げているが、近頃の若い女性には猫好きが多いというから、これも時宜を得た企画といえよう。

猫の話題のなかで、猫にお手を仕込むことのむなしさについて書いている。猫という動物は、犬と違って気位の高い生き物あり、またそれが取柄なので、お手をしつけるようなことをするのは、よくないと村上は考えるのだ。猫にふさわしいのは鼠をとることであって、お手をすることではない、というのが村上のカッコたる信念だ。

たしかに、猫というものは、お手をするより鼠をとるほうが似合っている。筆者が独身の頃、家に飼っていた猫は鼠を取るのが趣味で、しょっちゅう鼠を追いかけていた。とって食うのが目的ではない。ハンティングの醍醐味を楽しんでいるようなのだ。それが証拠に、鼠をノックダウンさせると、ひとしきり弄んだあとで、それを口にくわえて家人に自慢して見せたものだ。「どうにゃ、拙者の腕は一人前にゃろうが」といっているように見えた。おかげで家中の畳がいつも鼠の血で汚された。

昔の女の子に人気のあった「赤い靴」という歌についての文章は、今の若い女性にも役立つ内容を持っている。この歌には「赤い靴はいていた女の子、いーじんさんにつれられていっちゃった」という一説があるが、その「いーじんさん」の部分には、いろいろなバリエーションがある、と村上はいう。いーじいさんとか、ひーじいさんとか、にんじんさんとかいった具合だ。傑作なのは、「チージー(知事)さんにつれられて」というのだが、最初その意味がわからなかった村上は、某大阪府知事の行状を知るに及んで納得したという。やはり知事さんに連れられる、というのはありうることなんだ、というわけである。知事さんでも、某元東京都知事に連れられてしまったら、「こんこんと徳育教育されちゃいそうで、これもまた怖い」といって、若い女性たちに知事さんたちを警戒するように呼びかけている。

すき焼きは、今の時代の若い女性も大好きだと思うが、同じすき焼きでも、坂本九の歌った「上を向いて歩こう」の英語の題名になっているほうは、あまり知られていないだろう。村上はこの歌が大好きなのだそうで、「日本の国歌とまではいわずとも、準国歌にすればいいのにと長年主張しているんだ」そうだ。内田樹は、「青い山脈」を日本の国歌にしたらどうかと、どこかで提案していたが、これも、「君が代」を出し抜くと角がたつので、準国歌にいたしましょう、くらいに言っておけばいいと思う。

お前はどんな歌が国歌に相応しいと思うか、ともし聞かれれば、筆者としてはすぐに思い浮かぶようなものはないが、できたらもっと明朗で快活なのがよいと思う。筆者の子どもの頃にラジオで流れていた歌に「緑の丘の赤い屋根」というのがあったが、これなどはどうだろうか。この歌が流行っていた頃、筆者はまだ物心のつきはじめだったが、それでもこの歌だけは、正しい歌詞ときちんとしたリズムでうれしそうに歌っていましたよ、と筆者の亡くなった母も申しておりました。いたいけない子どもでもうれしがる歌なのだから、日本国民の誰にも愛されるに違いないと思います。

このエッセー集には、若い女性ならずとも眉をひそめるような話題も出てくる。たとえば、宇宙船の中で、無重力状態で脱糞することの難しさについて、などだ。脱糞するにも重力が介在していることを筆者はこの文章を通じて始めて思い知ったのだが、そしてその限りでは有益なことを覚えることができたのだが、わざわざ若い女性向けの雑誌のなかで披露するほどのことではないかもしれない。もっともこの文章のせいで、村上から女性ファンが大量離反したという現象は起らなかったようだ。今どきの若い女性は、我々「じいさん」世代の思っている以上にさばけているのかもしれない。







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