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村上春樹の初期の短編小説集「カンガルー日和」は、一般書店には出回らないある小さな雑誌に連載したものを集めたものだ。村上自身がいっているように、「他人の目を気にせずに、のんびりとした気持で楽しんで」書いたとあって、読むほうも気楽でしかも楽しい気分にさせられる。 収められた作品群は、「図書館奇譚」を除けばみな原稿用紙で10枚前後の短いものばかりだ。超短編小説ともいってよいそれらの作品は、小説というよりは感想文といったほうが好いかもしれない。筋書きを展開する為には短すぎるので、作者の感想のようなものを中心に構成されている。 その内容はといえば、たとえば表題作の「カンガルー日和」にあっては、恋人の男女が動物園でカンガルーの様子を眺めながら感想ともなんともわからぬ言葉を交すというものだし、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」にあっては、題名にあるとおり、4月のある晴れた朝に、一人の100パーセントの男の子が一人の100パーセントの女の子とすれ違うという話だ。100パーセントの女の子とすれ違った100パーセントの男の子は、自分がその女の子に挨拶をしたとすれば、それはこのようなものだったろうといって、短い御伽噺のようなものを紹介する。それは一組の若い男女をめぐる話であったが、「彼らの頭の中は少年時代のD・H・ロレンスの貯金箱のように空っぽだった」というわけなのである。 「図書館奇譚」は、6回分の連載からなる話だから、これは本格的な短編小説といってよいかもしれない。短編小説には普通ではない章立てとなっているのは、これが連載小説だったことに基づいている。この連載小説を村上は、「連続ものの活劇を読んでみたい」という細君の要望にこたえて書いたのだそうだ。 この短編小説のテーマは、村上の小説世界になじみの深いものだ。主人公が思いがけず異界に迷い込み、そこでささやかな冒険をした挙句、現実の世界に帰還するというものだ。この異界探訪の物語は、「羊をめぐる冒険」から「1Q84」まで村上の小説世界の構造を組み立ててきたもので、それを村上はこの小説の中で、試験的に始めてみた、というのがこの小説の、村上の作家としての歩みにおける位置づけなのではないか。 この小説のなかでも羊男が出てくる。恐らくこの小説の中の羊男のイメージの延長上に「羊をめぐる冒険」の羊男が生まれてきたのだろう。羊男とその主人との関係についても、二つの小説には共通点が多い。だからこの短編小説は、「羊をめぐる冒険」を創作するうえでのウォーミング・アップだったと言えなくもない。 主人公が紛れ込んだ異界のイメージは、図書館の地下の空間だという点で、この現実世界とどこかでつながっている。そのあたりは、箪笥の中からいきなり異界へとワープしたナルニア国物語の少年少女たちの場合と似たようなものである。村上は、自分の物語の構造を、ナルニア国物語に代表される西欧の冒険物語から着想したのではないか。西欧の少年を対象とした冒険物語はどれも、この現実世界から別の世界にワープした少年少女たちが、そこで冒険をして成長したあげく、現実世界に戻ってくるという構造になっている。 この小説の中にはすでに、村上の世界になじみの深い美少女が出てくる。村上の主人公たちはそうした少女たちとセックスを重ねるようになるのだが、この小説では何故か、主人公の少年は美少女とセックスすることがない。そのかわりこの少年は、本を読んでいる最中にトルコの収税吏に自己を同一視し、三人いる妻たちと愛の営みを持つ。だがその営みについてはさらりと言及されるだけで、どのようにして営んだのか、詳しいことは言わないですませている。 少年は美少女とセックスしないかわりに、異界からの脱出を助けてもらう。その脱出は、新月の夜、地下の世界が暗黒になった時間を見計らって行われる。新月の夜に地下の空間が暗黒になるという設定が面白い。地下には日の光は無論、月の光も届かないではないか。 主人公の男の子は、きわどい危険に直面しながら、一人だけでこの現実世界に帰還する。美少女も羊男も、この世界には居場所はないからだ。しかしてこの世界に帰還した少年がまず行ったことは、母親のもとへ戻ることだった。少年が冒険の果てに母の懐へ帰ってくるというのは、これもまた西欧の物語に共通する構図だ。だがその母親が、あっけなく死んでしまう。そのあたりを村上は、小説のラストの部分で次のように書く。 「先週の火曜日、母親が死んだ。ひっそりとした葬儀があり、僕は一人ぼっちになった。僕は今、午前二時の闇の中で、あの図書館の地下室のことを考えている。闇の奥はとても深い。まるで新月の闇みたいだ」 異界での冒険を潜り抜けてきた少年は、もはや青年にむかって飛躍している。母親の死は、そのことを象徴しているのであろう。 |
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