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神の子どもたちはみな踊る:村上春樹の世界


村上春樹の短編小説集「神の子どもたちはみな踊る」は、1999年に「地震のあとで」という総題のもとで雑誌に連載されたものを核としている。総題が示すように、1995年の神戸の大地震がテーマになっているが、テーマといっても、地震そのものが表立って問題にされているわけではない。地震をきっかけにして、いくつかの物語が緩やかに結びついているといった具合だ。だから地震は隠れたテーマだといってよい。その隠れたテーマを中核にして、相互に関連のないいくつかの物語が語られる、というわけだ。

物語は6つある。地震をきっかけに妻に去られた男を描いた「UFOが釧路に下りる」、焚火をしながら死のことを考え続けている男を描いた「アイロンのある風景」、表題と同じ題名の「神の子どもたちはみな踊る」、静養先のタイの田舎で生きることと死ぬことの意味を考える女性ドクターを描いた「タイランド」、東京を大地震から守るために地下の怪物と戦う蛙を描いた「かえるくん、東京を救う」、そして自伝的な色彩が感じられる「蜂蜜パイ」である。

6つのうち、「神の子どもたちはみな踊る」と「かえるくん、東京を救う」を除いては、村上にしてはリアリスティックなタッチの作品群だといえる。筆者などには、あまり面白いとは感じられなかった。これらの作品がなぜ、神戸の地震と結びつかねばならぬのか、そこに必然的なものを感じることもなかった。

表題作の「神の子どもたちはみな踊る」は、6作の中でもっとも面白いと感じた。これは神戸の地震のほかにオウムの事件も取り込んでいる。

主人公の青年は、新興宗教にかぶれた母親から、自分は神の子だと聞かされる。母親は実際には、耳のちぎれた男とセックスをした結果主人公を孕んだのだが、医者であるその男は、完璧な避妊をしたのだから、お前が自分の子どもを孕むはずはないと、父親であることを否定する。母親は、完璧な避妊をしたにもかかわらず妊娠してしまったのは、もしかしたら神の意思なのかもしれぬと思い、新興宗教にのめり込んでいく。その母子の関係がこの小さな物語の大きなテーマになっている。

青年は、父なるものの冷ややかさを感じるにつけ、この世に生きていることの意味に疑問を感じ、信仰を捨てることとした。だが自分が神の子であるという仮説は悪いものではなかったので、時折そのことを利用した。

あまり愛してもいない女の子から結婚を迫られた時になど、そのことを持ち出して言い訳にしたりした。

「大学を出たとき、恋人が彼に結婚してほしいと言った。「あなたと結婚したいのよ、かえるくん。あなたと一緒に暮らして、あなたの子どもを産みたいの。あなたと同じくらい大きなおちんちんを持った男の子を。
「僕には君と結婚することができないんだ、と善也はいった。今までいいそびれていたんだけど、僕は神様の子どもなんだ。だから僕は誰とも結婚することができないんだ。
「ほんとうに?
「ほんとうに、と善也はいった。ほんとうに。悪いとは思うんだけど」

母親の信仰上の友人に田端さんという人がいた。田端さんは善也を自分の子どものように可愛がってくれた。それは善也の母親を心から愛していたことの効果だった。その田端さんが、死ぬ間際に善也に向かってある告白をした。

「口にするのはとても恥ずかしいことだが、やはり言わなくてはならない。それは、私が善也君のお母さんに対して幾度となく邪念を抱いたということだ。君も知っているように、私には家族がいるし、心から愛している。加うるに、君のお母さんは無垢な心を持った人だ。にもかかわらず、善也君のお母さんの肉体を、私の心は激しく求めた。その思いを止めることはできなかった。私は君にそのことを謝りたい」

こんな風に告白された青年は、またしても自分が神の子であるとの仮説を持ち出して、田端さんから投げかけられたボールを受け取ろうとするのだ。

「謝ることなんてありません。邪念を抱いていたのはあなただけじゃない。息子である僕だっていまだにろくでもない妄想に追いかけられているんだ。善也はそう打ち明けたかった。でもそれを言ったところで、田端さんを余計に混乱させるだけだろう。善也は黙って田端さんの手を取り、長い間握っていた。胸の中にある思いを相手の手に伝えようとした。僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。姿かたちを失うかもしれない。でも心は崩れません。僕らはその形なきものを、よきものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝え合うことができるのです。神の子どもたちはみな踊るのです」

村上にしては、珍しくセンチメンタルな文章だ。神の子どもたちという発想は、日本の新興宗教に共通した観念なのだろうか。浅墓な筆者にはわからない。だが心が石ではないというのは、なんとなくわかるような気がする。もともとは詩経の一説「わが心は石に非ず、転がすべからざるなり」を踏まえているのだろう。

この言葉は高橋和巳も好んでいた。高橋もまた、新興宗教に題材をとった小説を書いた。






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