エッセー集「ランゲルハンス島の午後」は、1984年6月から二年間にわたって、女性向けファッション雑誌「CLASSY」に連載したエッセーを集めたものだ。もともとは「村上朝日堂画報」と題していたが、単行本にするにあたり、このような題名に改めたという。題名は収録エッセーのタイトルからとったもので、エッセー集全体の特徴等はとくに意識していないようだ。
村上が原稿用紙二枚分ほどの短文を書き、それに安西水丸が絵を寄せるという体裁になっている。村上の文章は、ボリューム的にも内容的にも至極あっさりとしている。読後何も頭に残らないといった体のものだ。おそらく読者を意識してそうしたのだろう。上昇志向の強そうな若い女性をターゲットにしていることもあり、あまり頭を使わせる文章は受け入れられないだろうと、村上本人も思ったフシがある。
それに比べれば、安西水丸の絵のほうはかなり凝っている。まず文章のひとつについて二つの絵を載せている。うちひとつはごく簡単なイラストに色を施しただけのものだが、もうひとつは本格的な絵だ。多くの場合それらの絵は、行き当たりばったりに描かれたものではなく、文章をよく読んで、その内容に相応しい形を現そうとする意思が感じられる。たとえば冒頭の「レストランの読書」という文章に添えられた絵は、一枚がさくらんぼの入った器、もう一枚がテーブルの上に乗っているマチスの画集を描いている、といった具合だ。
中には文章とあまり関係のないような絵もある。「ONE STEP DOWN」と言う文章は、村上が昔訪れたニューヨークのジャズ喫茶を話題にしたものだが、店の名がそのまま店の構造をあらわしていたということを説明している。つまり、玄関のドアをあけるといきなり一段分の段差が待ち構えていて、その事情を知らない村上は転んでしまったというのだ。この文章に添えられた絵は、一枚がMr Peanuts のワッペンの絵で、もう一枚が村上の本「カンガルー日和」の表紙を描いたものだった。
これらの絵を描いた安西水丸は、初期の頃の村上とよくコラボレートしていた。村上はこの人が好きだったようで、自分の本の中でことあるごとに言及しているばかりか、小説の主人公の名前にもつかっている。例の渡辺昇とそのバリエーションである渡部トオルとか綿矢昇とかは、安西の本名渡辺昇からとったものなのである。
文章の内容は、読んだ先から忘れてしまうような体のものだと言ったが、中には思わずほくそ笑んでしまうものもある。その一つ。細君の買い物に付き合わされる苦しみについて。細君の買い物に付き合わされてうんざりしたことは、どんな亭主にも経験があると思うし、筆者にも無論その経験があるが、村上はそれをうんざりした口調ではなく、ユーモアをこめた軽快なタッチで描き出している。
これはこの雑誌の性格を、村上が熟知していたことのあらわれなのだろうと、筆者などは思ってしまった。何しろ村上が文章を寄せている雑誌の読者は、買い物好きの若い女性たちであり、彼女らの中には、亭主を連れて買い物にゆくことを無上の楽しみにしている女性も多くいるに違いない。そんな女性たちに向かって、女性の買い物に付き合わされるのはごめんだなどと書くわけにはいかないだろう。それくらいのことは筆者にもわかるのである。
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