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村上春樹「雨天炎天」


村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島とトルコにショート・トリップを行った。いつもと違って細君を同行せず、かわってカメラマンと編集者を同行した。村上は詳しく語っていないが、このショート・トリップは出版社の企画に乗る形で、ロハで旅を楽しんだのだと思う。だがそれにしては、ハードな体験になったようだ。彼はそのハードな体験を一冊の紀行文にまとめた。「雨天炎天」がそれである。

まず、アトス半島の旅。アトス半島は、地図で見ると、マケドニア南部テッサロニケの東南に突き出た三つの半島のうち一番東側の細長い半島である。ここは独特の宗教共同体の自治で知られている。ギリシャ正教の修道院が二十あり、その傘下にギリシャ式庵というべき粗末な建物が多くぶら下がっている。住人のほとんどは聖職者(男である)であって、彼らはここで修行をしたり、あるいは一生を宗教的な法悦のうちに過ごすのである。

村上はここを三泊四日かけて縦断し、なるべく多くの修道院を訪ねるつもりだったと言う。三泊なのは、それが部外者に許可される滞在限度だからである。ここはただの宗教共同体ではなく、政治的な自治をともなった、立派な共和国なので、部外者は外国人として、厳しい制約を課せられるわけである。結果的には滞在が二日延びたが、そのことで咎められることはなかった。しかし村上は法的なとがめだてなど比較にならぬほどのハードな体験を強いられることとなったのである。

普通の共和国とは違って、ここには世俗的な生活はない。住んでいるのは修道士だからすべて男ばかりである。つまり女のいない国なのだ。女人禁制を建前としたところは日本にも存在するが、ここの女人禁制はなまやさしいものではない。域内に(つまり国内に)一人として女を見ることがないのだ。なぜ女人の立ち入りを許さないのか、それはギリシャ正教の歴史をひもとかねばわからないところだろう。しかし村上の関心はそんなところにはない。彼の関心は、自分も修道士と同じような体験を、そのはしりばかりでも味わってみたいということにあったようだ。

修道士たちは、肉体的にも精神的にもハードな毎日を過ごしている。彼らは粗末なものを食い、粗末なものを着て、外見は乞食と変らないが、内面は充実しているという印象を村上は持ったようだ。だがその充実を村上は共有したことがなかった。彼が共有できたのは、粗末極まりない食事と肉体的な苦痛に耐えるという表面的な体験だけだった。でも村上はそのことで不平はいわない。なにしろこの旅は自ら決断して始めたものだからだ。

修道士たちが黴の生えたパンと豆のスープで満腹していることに村上は驚嘆する。最初にこれを食わされたときはなかなか喉を通らなかった。しかし人間というものはじつに柔軟にできているものだ。これしか食い物がないとなると、それをうまく食うようになる。村上もほんの短い時間に、これをうまいと思うようになった。ましてやここに住んでいる猫たちがそれをうまそうに食うのは不自然ではない。村上は、この黴の生えたパンと豆のスープを毎日与えられて満足している猫に驚嘆の眼差しを向けるのだが、自分自身だってそれらを嬉々として食うようになったわけだから、そんなに大げさに騒ぐまでもなかろう、そんなふうに思えてくる。

ついでトルコ。ここはイスタンブールから始め、黒海沿岸地帯を東へ進み、ソ連国境沿いに南下したあと、イラクとの国境沿いに西進し、地中海沿岸に戻ってくるというもので、いわばトルコの外周を一回りするサークル・トリップのようなものである。ここはアトスとは違って非常に世俗的な空間だった。あまりに世俗的過ぎて、うんざりさせられることもあった。この旅では当然多くのトルコ人と出会ったわけで、村上の記述はそうしたトルコ人の印象記のようなものである。

トルコについての村上の第一印象は、軍人や警官などの制服が異常に多いということだった。彼らは異常に数が多いだけではなく、異様に目立っている。えらそうに威張っているし、市民に対して威圧的に振る舞っている。表情もおおむね平板だ。要するに人間的な感じがしないのである。

だがこれは集合としての彼らを見た場合の印象であって、一人ひとりの軍人や警官はじつに人間的だと村上は言う。彼らの多くは、とくに軍人たちは、まだ幼さを感じさせる。おそらく徴兵されたのであろう。徴兵されて軍人としての振舞い方を叩き込まれた結果が集団的には威圧的な印象を与えるようになったが、個人としてはまだ幼さの残った初々しさを感じさせるというわけだろう。

トルコ人は、一様ではない。人種的な特徴から生活様式にいたるまで実に多様である。ぐさりと分けると、ボスポラス海峡を境にして、ヨーロッパ顔とアジア顔とにわかれ、アジア顔のほうはさらにクルド人とかアラブ人とかに細分されるということらしい。そのうちクルド人は独自の歴史を持っていて、トルコでは独自の存在である。村上がこの旅をしたときは、丁度クルド人問題をめぐって緊張していた時期で、村上はニュースに疎かったために、あやうく危険な目にあいそうになったそうだ。

アトス半島のギリシャ人についてはかなり好意的な見方をしていた村上だが、トルコ人についてはかなり厳しい見方をしている。村上は、ヨーロッパ人のなかでイタリア人をもっともこき下ろして、けっこうどぎついことを言っているが、トルコ人にはそれ以上に厳しいことを言っている。どうもよく感情移入ができないで、全く別世界の生き物を見ているような気持にさせられるらしい。その例の一つとして村上はあるトルコ人が靴をはいたまま足を洗っている光景を不思議そうな気持を込めて紹介している。

「どうしてそんなことをしなくてはいけないのか、僕には今もって理解できないでいる。それは何かイスラム教に関係したことなのだろうか?夜の十一時に靴をはいたまま足を洗うことが?あるいは足をつっこんだまま靴を洗うことが?」村上はそう言って首をかしげるばかりなのである。







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