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村上春樹の小説「1973年のピンボール」を読む


村上春樹の中編小説「1973年のピンボール」は、彼の処女作「風の歌を聴け」の続編といえる作品である。前作で設定されていた時点から四―五年後の時点における、それぞれの人物の後日談といった体裁のものだ。

後日談というのは、この作品にも前作同様、筋らしい筋がないから、主人公たちにまつわる物語も噂話の息を出ないというくらいの、そんな意味合いに受け取って貰えれば間違いはないという意味だ。

主人公の僕は、大学を卒業した後、仲間の青年とともに翻訳事務所を開設していることになっている。彼の友人であった鼠は、あいかわらず故郷の港町で暮らしており、僕とは違って、仕事らしい仕事をしないでいる。

僕と鼠の共通の友人であるジェイは、鼠の暮らす港町で、相変わらずバーをやっている。ジェイは鼠の友人として変わらぬ友情を示すとともに、僕に対しても、テレパシーのような影響を及ぼしている。この小説の由来となったピンボールに、僕が変にのめり込んでいくのは、ジェイが発散するテレパシーのなすところとしか言いようがない、ふしぎな事態なのだ。

先にこの小説には筋らしい筋がないといったが、人間の息吹は聞こえてくる。その息吹を、主人公の僕は不思議な双子の少女たちと分け合い、鼠の方は、不可解な一人の少女と分け合っている。

この小説は、男と女の出会いとすれ違いを描いているという点でも、前作「風の歌を聴け」の延長線上にあるものだ。

僕は、この小説の出端から、双子の少女たちと暮らしていることになっている。そんな彼女たちとどのようにして出会ったのか、僕ははっきりとは覚えていない。ある朝目が覚めたときに、自分の両脇に双子の女の子がいたのだったに過ぎない。

・・・目が覚めるというのは「今までに何度も経験したことではあったが、両脇に双子の女の子というのはさすがに初めてだった。二人は僕の両肩に鼻先をつけて気持ちよさそうに寝入っていた。よく晴れた日曜日の朝であった。」

まるでカフカの「変身」を読んでいるかのようである。だが「変身」と違って、自分の前に双子の女の子が突然現れたからといって、僕の運命が激変にさらされるというわけではない。僕はこの二人の女の子たちと、変らぬ日常を変わらぬ気持ちで生きることになるであろう。

彼女たちは、余りにも似ているので、僕にとっては、互いを弁別すべき手掛かりがない。ザ・ピーナツのように瓜二つの双子でも、たとえばニキビの位置によって弁別できるものだが、彼女たちにはそうした相違もないのだ。だから僕は、彼女たちの一人を、もう一人とは絶対的にと異なる存在として、認識できることがない。僕はその時々のシチュエーションに従って、彼女たちを相対的に弁別するより方法はないのだ。たとえば、「その時に僕の右手にいる方」といった具合だ。

彼女たちは、お互いがお互いから区別できないように、一個の人間としてほかの人間から区別できるような特徴もない。彼女たちが存在しているのは、僕の生活の一部分、いわばひとさまの付属物としてしかありえないのだ。

だから翻訳事務所の女の子から、「恋人はいるの?」と聞かれて、いないと答えるほかはない。実際この双子はいつも僕の両側に、僕の肩に鼻先をくっつけるようにして寝ているのだが、僕が彼女たちとセックスしたという証拠は、この小説からは読み取れないのだ。せいぜい、ベッドの中で、バックギャモンをするのがせいの山なのだから。

僕と双子の生活空間の中に、あるとき電気屋が配電盤の取り換えにやってくる。電気屋は仕事を終えたのち、古い配電盤を置いていく。若い男と双子の女の子が一つのベッドに寝ていることに驚いて、気を取り乱してしまったからだ。

その配電盤を、双子の女の子は気に入って、しばらくはおもちゃにして遊んでいたのだが、ある日、それは雨が激しく降っていた日だったが、双子は配電盤のお葬式をしたいと言い出した。

僕は彼女たちの言い分を、ばかばかしいとも思わず、配電盤を葬るために三人で車に乗って貯水池に出かけることにする。

「犬たちはみんな尻の穴までぐしょぬれになり、あるものはバルザックの小説に出てくるカワウソのように見え、あるものは考え事をしている僧侶のように見えた。・・・雨は永遠に降り続くかのようだった。10月の雨はいつもこんな風に降る。何もかもを濡らすまで、いつまでも降り続ける。」

葬儀にふさわしい場所に来ると、お葬式にふさわしいお祈りの言葉を言ってほしいと、双子がねだる。そこで

「哲学の義務は」と僕はカントを引用した。「誤解によって生じた幻想を除去することにある。・・・配電盤よ貯水池の底に安らかに眠れ。」すると双子は感心していうのだ。
「素晴らしいお祈りだったわ」
「あなたが作ったの?」
「もちろん」と僕は言った。
そして僕たち三人は犬のようにぐしょぬれになったまま、よりそって貯水池を眺めつづけた。

カントがはたしてほんとうにこんな言葉を書き残していたか、いずれ岩波文庫版の「純粋理性批判」でも繙いて確認してみよう。

それはともかく、この双子とは、僕は出会いに相応しく、あっさりと別れることになる。もっとも、ちょっぴり未練が残らないわけでもなかったようだが。別れのシーンを読む限りは、そんなに複雑な感情があったとも思われない。それは次のように、静かでわだかまりのない調子で締めくくられている。

「バスのドアがバタンと閉まり、双子が窓から手を振った。・・・何もかもがすきとおってしまいそうなほどの11月の静かな日曜日だった」




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