村上春樹を読む
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村上春樹「ダンス、ダンス、ダンス」を読む


村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」は「羊をめぐる冒険」の後日譚ということになっている。それ故形式上は「風の歌を聴け」に始まる青春三部作の続編という形だが、内容や雰囲気は大分異なっている。間に「ノルウェーの森」を挟み、いろいろな面で村上の作家としての力量が大きくなってきたことを物語っているのだろう。

この小説の内容は、「羊をめぐる冒険」の途中で忽然と消えてしまった女主人公を探す旅から始まる。このすばらしい耳を持った女性は、僕に羊をめぐる冒険を予言してくれたり、僕といっしょに北海道の山の中までついてきてくれたのだったが、ある日突然姿が見えなくなってしまったのだった。

考えてみれば、僕はこの女性の名前も知らないのだ。彼女が高級コールガールとしての一面を持っていることはわかっていたが、それ以上のことは何も知らない。それでも一時期は僕と親密な関係を結び、僕にとっていろいろと有益なことをしてくれた。

彼女がいなくなってすでに4年がたった。僕は時々彼女のことを思い出しては、無性に会いたくなるのだ。そこで僕は、彼女の手がかりを探して、かつて二人で泊まった札幌の「いるかホテル」に出かけるのだ。

こうして僕の新たな冒険が始まるというわけだ。その冒険の中で、僕は様々な人たちと会う。その人たちとの出会いと別れがこの小説のテーマだといってよい。別れは時に死別というショッキングな形をとる。村上のほかの小説と同じように、この小説でも多くの人が死ぬのだ。主人公の僕は親しい人が死んでいくのをつらい気持ちで見送りながら、一方では女性たちと激しくセックスする。この小説では、生きることとは、しゃべることと交わることからなっているかのようだ。

かつているかホテルがあったところには、全く違った高級ホテルが建っていた。だが名前だけは昔のホテルを引き継ぐように「ドルフィンホテル」といった。このホテルの空間の一部に、昔のホテルがそっくり含まれており、そこにはあの羊男が住み込んでいた。無論、空間も羊男のイメージも実体のある現実ではない。それは僕の心の中の風景がそのまま形をとったものといってよかった。擬似世界なのだ。そこで僕は、羊男から、生きるためには常に踊っているようにと忠告される。僕はその後、常に踊っていなければと自分に言い聞かせる。「ダンス、ダンス、ダンス」は、そんな羊男の言葉を言い換えたものだ。

このホテルで僕はフロント係りの女の子と知り合いになる。その女の子もまた、羊男のいるあの擬似世界に足を踏み入れたのだった。何故彼女がそこにひきつけられたのか、作者は明示的には語っていない。最後に僕はこの女の子と結ばれるわけだから、二人の間にテレパシーが働いて、僕が女の子を羊男の擬似世界に招き寄せたのかもしれない。

実際、この小説は、それ以前の作品と比べて一段とファンタスティックな構成をとっている。僕はテレパシーを通じてほかの人と交信することができるし、現実の空間と仮想の空間とを行ったりきたりすることもできるのだ。

この小説はファンタジー小説でもあり、またオカルト小説でもある。作者は貧困な現実性などにはこだわらない。

この小説はまたスリラー小説でもある。キキ(耳のきれいな女の子を僕はこう呼ぶ)の亡霊に導かれて、迷い込んだ異次元空間で、僕は6人分の白骨を見るのだが、その白骨はこの世界で現実に死んだ、あるいはこれから死ぬであろう人間の骨だということがわかる。僕はひとつずつ、白骨と死人とを対応させていくが、最後にひとつだけ死人に対応しない骨が残る。もし僕の予見が正しいとすれば、誰かがこれから死なねばならない。それはもしかしたら僕自身なのかも知れない、そう思うと僕は無論怖くなる、つまりスリリングな想定を、僕はしているわけだ。

さて、ホテルのフロント係りの女の子を僕は「ユミヨシさん」と、さん付けして呼ぶ。セックスをした後での親密な関係においても、なぜかユミヨシさんと呼び続ける。ほかの女の子には、あだ名で呼びかけたり、ちゃんとした名前で呼んだりするのに、この女性だけは最後までさん付けなのだ。

僕はユミヨシさんを仲介にして、ユキという女の子と知り合う。ユキの母親はアメといって、カメラマンだ。アメにはディック・ノースという恋人がいる。このノースはやがてトラックにはねられて死ぬことになる。

僕はまた、映画館の中で、中学生時代の同級生五反田君が出演している映画を見る。つまらない映画だったが、なんとその中でキキが五反田君に抱かれていたのだ。

僕は早速五反田君と連絡を取り、旧交を温める。そしてキキの手がかりを知りたいと訪ねたが、五反田君も知らないという。いつの間にか消えてしまったというのだ。僕の目の前から消えたときと同じような事情に見えた。

僕は五反田君に誘われて、メイというコールガールを抱く、メイはかつてキキと仲がよかったということだが、彼女にもキキの行方はわからなかった。その彼女がある日、ホテルの一室で殺されているのが発見された。僕はそのことで警察署に連行され、三日間豚箱に寝起きしながら調書を取られる。僕は五反田君を巻き込んではいけないと思って、最後までしらを切りとおしたのだった。

ところで、キキはほかならぬ五反田君に殺されたらしいという啓示が、突然にやってくる。不思議な霊感能力を持つ少女ユキが、例の映画を見て、五反田君がキキを殺したと直感したのだ。もしかしたらメイを殺したのも五反田君かも知れない。僕はそう疑ったが、その疑いが晴れる前に五反田君は自殺してしまった。

これで死人の数は5人になった。鼠、キキ、メイ、ノース、五反田君だ、6人目がいるとすれば、それはこれから死ぬ運命にある。いったい誰なのだ。この深い疑問を未解決にしたまま、小説は結末を迎えるのだ。

その結末はサイケデリックな転換としてやってくる。札幌のドルフィン・ホテルの中で、僕もユミヨシさんも、もう一度羊男の住む異空間に迷い込む。だがその異空間の中には住んでいるはずの羊男の姿がない。彼は死んだのだった。ということは、彼が主宰するこの空間から、もしかしたら二度と出られないかもしれない。なぜならこの異空間は羊男が僕を異界に繋げるために作ったものだからだ。その空間の中に取り残されたら、どんな事態が待っているかわからない、と僕は恐怖する。

「僕は世界の端に立っているような気がした。古代人が考えた世界の端。何もかもが奈落の底に落下しているような、世界の端だ。そこの突端に我々は立っている。二人きりで」

この世界の端で、二人はきつく手を握っていなければならない。手を放したら最後、テンデンバラバラになって、奈落の底に落ちて行ってしまうかもしれない。ところがどうだろう。僕とユミヨシさんはつないでいた手を離してしまったのだ。突然に名称しがたい感情の高まりが僕を襲う。

「僕は自分の肉の中に進化の高ぶりを感じた。僕はその複雑に絡み合った巨大な自分自身のDNAを超えた。地球が膨らみ、そして冷えて縮んだ。洞窟の中に羊が潜んでいた。海は巨大な思念であり、その表面に音もなく雨が降っていた。顔のない人々が波打ち際に立って沖を見つめていた。終わりのない時間が巨大な糸玉となって空に浮かんでいるのが見えた。虚無が人々を呑み、その巨大な虚無がその虚無を呑んだ。人々の肉が溶け、白骨が現れ、それも塵となって風に吹き飛ばされた。非常に完全に死んでいる、と誰かがいった。かっこう、と誰かが言った。僕の肉は分解し、はじけ飛び、そしてまたひとつに凝結した」

これはパラノイアというより、分裂した自我を物語っているのだろう。だが僕はかろうじて分裂してしまわないで、この世に生還することができる。生還した僕は、ユミヨシさんと新しい生活を始めるだろう。


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