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死に方は選べる:村上春樹「1Q84」を読む |
村上春樹の創造した人物像の中にあって、タマルは牛河以上にユニークな人間だ。表向きは謎めいた老婦人の執事ということになっているが、実体としては夫人のボディガードであり、また夫人の大胆な野心の実現を支えるエクスパート=その道のプロでもある。青豆が夫人の野心を実行する実働者=殺し屋とすれば、タマルはその殺しを演出する参謀だ。 三度目の殺しの仕事を終えた青豆が老婦人の屋敷にいったとき、タマルが玄関先で青豆を迎えた。そのときのタマルを村上は次のように描写する。「おそらくは四十前後、頭はスキンヘッドにして、鼻の下に手入れされた髭を蓄えている・・・一見してプロの用心棒のように見えるし、実際のところそれが彼の専門とする職域だった。時には運転手の役目も果たす。空手の高位有段者であり、必要があれば武器を効果的に使うこともできる。鋭い牙をむき、誰よりも凶暴になることもできる。しかし普段の彼は穏やかで冷静で知的でもあった。じっと目をのぞき込めば〜もし彼がそれを許してくれればということだが〜そこに温かい光を認めることもできる」 老婦人の秘密に与るという立場から、タマルと青豆はいわば同僚だ。青豆はタマルの冷静沈着なところに信頼を寄せ、タマルも青豆の冷静なところを評価する。彼らは二人ともプロだ、自分よりルールを優先することを知っている。だが自分が全くないというわけでもない。たとえば最初のシーンで、タマルの飼っているメスのシェパードが二人の間で話題になる。タマルはその犬のことを得意げに語る。 「ブンは元気?と彼女は訪ねた。 「アア元気にしてるよ、とタマルは答えた。 ・・・ 「ほうれん草の好きなドイツシェパードなんて見たことない。 「あいつは自分のことを犬だと思ってないんだ。 「なんだと思っているの? 「自分はそういう分類を超越した特別な存在だと思っているみたいだ。 タマルは自分が特別な存在だとは思っていない。自分にも弱さがあり、その弱さが時には命取りになることも知っている。だから何事をなすにも、用心に用心を重ねる。ところが青豆には、聊かセンチメンタルに陥る部分がないわけではない。そんな青豆の弱さを、タマルは様々なところでカバーしてやることになるだろう。 そのタマルに、青豆は自分が目にした不思議な光景のうち、いつの間にか警察官の制服と制式拳銃のモデルが変ってしまっていることについて、それがいつごろからのことだったのか問いただす。青豆にとっては、つい最近まで、警察官は従来のままの姿をして、旧式のレボルバーを携帯していたはずなのだ。するとタマルは、それが2年前からのことだと、当然のことのようにいう。つまり彼は、この小説に登場した当初から、あちら側の世界の人間であったわけだ。 タマルは滅多に弱音をはかない。だが一度だけ弱音を吐くことがある。可愛がっていたシェパードのブンが何者かによって腹に爆発物を仕掛けられ、ぐちゃぐちゃにされた後で、老婦人が保護していた10歳の少女つばさが消えてしまったのだ。この二つの事件が互いに関係があるのかどうか、それはわからない。老婦人は、つばさが自分の意思でいなくなったのだろうと考えているが、タマルはそのことに責任を感じないではいられない。 タマルは老婦人のボディガードとはいえ、常に老婦人の身近にいるわけではない。夜は自分の住処で過ごす。だから犬のことといい、つばさのことといい、彼に責任があるわけではない。だがタマルは自分の気づかないところで、不可解なことが二つ重なったことに、責任を感じるとともに、深く傷ついたのだ。 タマルもまた青豆や天吾に劣らず、不幸な少年時代を送ってきた。彼は朝鮮人の両親の子どもとして樺太に生まれた。そこはひどい世界だった。できれば韓国に帰りたかったが、樺太を占領しているソ連は、彼らの出国先としては北朝鮮しか認めなかった。それで両親は樺太を出ることを諦め、彼だけが日本の内地に渡った。日本では辛酸を舐めて育った。そして生きるための知恵を自分の力で学んだ。だから彼の身に着けた知恵は着実なのだ。 青豆が老婦人からカルト教団のリーダーの殺害を指示された時、タマルは青豆から最新式の拳銃の手配を頼まれた。青豆は、もし仕事に失敗して拘束されたら、どんなひどい拷問をうけるかわからない。自分はそれに耐えられないだろう。その前に自分で自分を始末したい、というのだ。 彼はいぶかりながらもそれを引き受ける。そして高性能のオートマチック拳銃を青豆に手渡す。タマルは青豆に扱い方を教えながら、確実に死ぬ方法も教えてやる。こめかみなどを狙うのではなく、銃身を口の中に突っ込み、脳天に向けて引き金を引くんだ、そうすれば脳みそが吹っ飛んで、確実に死ぬことができる。 彼は言う、「東条英機は終戦のあと、アメリカ軍に逮捕されそうになったとき、心臓を撃つつもりで拳銃の銃口をあてて引き金を引いたが、弾丸が外れて腹に当たり、死ねなかった」その後アメリカ軍に介抱されて命を取り留めたのち、あらためて絞首刑にされた。「ひどい死に方だ。人間にとって死に際というのは大事なんだよ。生まれ方は選べないが、死に方は選べる」 タマルには、青豆と老婦人が次々と殺人ゲームを重ねているのが腑に落ちない。彼女らの動機が分からないわけではない。そうではあるが、それが世界にとってどんな意味があるのか。 彼は青豆に向かってこういう。「あんたたちがやっていることを、無駄だと言うようなつもりは俺には全くない。それはあんたたちの問題であって、俺の問題ではない。しかしごく控えめに言って、無謀だ。そしてキリというものがない」 青豆がリーダー殺しの仕事に成功して戻ってきたとき、タマルは青豆のために隠れ家を用意し、なにかと面倒をみてやる。そして適当な時期を見計らって安全な場所に高跳びさせることを考えている。無論整形手術を含めて、青豆という人間の痕跡を消したうえでだ。 ところが青豆は少し待ってくれと言いはじめる。彼女はリーダーを殺した夜に妊娠した、それは性交のない妊娠だったので、処女懐胎とでもいうべきものだった。青豆はその父親が天吾にちがいないと直感する。その天吾がこともあろうに青豆のいるアパートから遠くないところに住んでいる可能性がある。彼女は天吾に是非とも会いたい。だからもうすこし時間が欲しいというのだった。 タマルには処女懐胎など信じられなかったが、青豆の熱意は尊重せずにはいられなかった。それにしても、青豆が子供を産んだところで、その出生に愛がなかったとしたら、その子どもは傷つくに違いない。自分も若い頃に女といちどだけ交わり、子どもを孕ませたことがあったが、その後のことは知らない。だが生まれた子供が傷ついたことは十分に考えられる。 あなたはゲイではなかったの?と青豆が聞き返す。タマルは妥協の余地のないゲイだが、その時は若気の至りからのことで、生涯にたった一度の過ちを犯したというのだ。 そんな経験を踏まえて、タマルは青豆に向かってこういうのだ。「いったん自我がこの世界に生まれれば、それは倫理の担い手として生きる以外にない。よく覚えておいた方がいい」 青豆が天吾を求めて動いているうちに、牛河が突然彼女の前に現れた。彼女は身に危険が及び始めていることに気づく。あのカルト集団が自分を追って、近くまで来ているのかもしれない。そう感じた青豆は、タマルに向かって、牛河のことを報告する。タマルはいよいよ事態が押し迫っていることを感じたはずだ。 タマルは、たいして時間をおかずに牛河の部屋に現れ、寝袋にくるまって寝ている牛河を直撃して失神させ、寝袋から引きずり出して後ろ手に縛りあげ、畳の上に俯けに寝転がした。そして目をさました牛河を散々になぶり、必要な情報を引き出した後、牛河の頭にビニール袋をかぶせて窒息死させた。 牛河は断末魔の苦しみにあえぎながら死んでいった。それはひどい死に方だった。死んだあとに大量の小便が漏れ出ていた。苦痛で膀胱が完全に開いてしまったのだ。 牛河は、この世に生まれて以来、自分の親や兄弟からも異分子としてさげすまれ、差別されてきた。何故そうなったのか、自分でもわからない。生まれ方を間違えたか、あるいは生まれ方を選べなかったことの結果かもしれない。そしていまこうやって、みじめで不本意な死を死んでいく。彼には死に方でさえ選べなかったわけだ。 |
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