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村上春樹「パン屋再襲撃」


村上春樹の短編小説集「パン屋再襲撃」は、表題作以下六篇の短編小説を収めている。いづれも比較的まとまった分量からなり、けっこう読ませる内容だ。書かれた時期は1985年の夏以降年末までの半年足らずの短い間だ。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を書き終えた直後にあたっている。

表題作の「パン屋再襲撃」は、結婚したばかりの若い男女が、猛烈な空腹に耐えかねてパン屋を襲うという内容だ。パン屋を襲ってパンを奪おうとするのは、なにも金がないからではない。実際彼らは、パン屋の代りにマクドナルド・ショップに押し入り、ビッグマックを20個とコカ・コーラ数本を強奪するのだが、飲み物についてはちゃんと金を払って買っている。金を持っているのに何故、金を払わずにパンを強奪しようとしたのか、それは小説を読んだ上で、読者一人ひとりに考えてもらいたい、と村上は言いたいようである。

「パン屋再襲撃」とあるように、この小説には先行する作品がある。「パン屋襲撃」がそれだ。「パン屋襲撃」のほうは、若い男の二人連れがパン屋に押し入ってパンを強奪するところを描いている。その際、パン屋の主人から、一方的に強奪するのではなく、取引しようと持ちかけられる。その取引とは、自分と一緒にワグナーを聞くというものだった。自分と一緒にワグナーを聞くというのも一種の労働であるから、若者たちは労働で対価を払ってパンを手に入れることが出来る、それは合法的な行為だ、という理屈だ。

「パン屋襲撃」のほうを筆者は未読なので詳しいことは言えないが、加藤典洋によれば、これは京浜安保共闘の銃砲店襲撃事件をなぞっているということらしい。それに対して「再襲撃」のほうは、新左翼から転向した若者を描いていると加藤は言っている。「襲撃」の二人連れは「パン屋を襲うことと共産党員を襲うことに・・・ヒットラー・ユーゲント的な感動を覚え」るのだし、「再襲撃」の夫婦の片割れの男は、「時代が変われば空気も変わるし、人の考え方も変る」と言って、自分が転向したことを認めている、と言うのである。

最後に位置する「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は、長編小説「ねじまき鳥クロニクル」の書き出しの章とほとんど同じ内容である。僕の妻に名前が与えられていないこと、猫の名前が「わたやのぼる」ではなく「わたなべのぼる」になっていることを除けば、文章の詳細に至るまでほとんど同じである。そういえば、この短編集には「わたなべのぼる」という名がいくつか出てくる。「パン屋再襲撃」では主人公僕の共同経営者として、「象の消滅」では象の飼育係として、「ファミリーアフェア」では妹の婚約者として、「双子と沈んだ太陽」ではやはり共同経営者として、である。もっともこれらの人物あるいは動物は、名前のほかには共通点がないのだが。

ところで、「双子と沈んだ太陽」には双子の女の子がでてくるが、この双子は「1973年のピンボール」に出てきた双子を思い出させる。この双子はある朝僕のベッドの中で横たわっているのを見つけて僕をうろたえさせるのだったが、僕に哲学的な意見を開陳するようにせまったりした後、あっさりと消えてしまっていた。その消えてしまったはずの双子を、主人公の僕はグラビア雑誌の中で見つけるのだ。

「双子と沈んだ太陽」には双子のほかにメイという名前の女の子が出てくるが、これは「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる主人公のセックス・パートナーの女の子を思い出させる。「ダンス」の女の子は性器を露出した姿勢で殺されているところを発見されたが、この小説の中の女の子は、殺されることはない。

「ダンス・ダンス・ダンス」は1988年、「ねじまき鳥クロニクル」は1994年以降に書かれた作品である。それらの作品と、この短編集のなかの作品とがどのように響きあっているのか、それはそれで面白いテーマになると思う。

「ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」と題する奇妙なオムニバス小説は、「溶鉱炉のふたにも似た頑丈で確実な記憶」の持ち主である僕が、「80パーセントの事実と20パーセントの省察」にもとづいて日記を書き続けているという話である。「ローマ帝国の崩壊」以下は、その日記の中に出てくる話題のことなのである。

こんな具合でこの短編小説集は、一見すると互いに無関係な話が無造作に並んでいるように見えるのだが、よくよく反省してみると、どこかしらになにかしらの因縁でつながっている。そこに村上らしい細工を読み取るのは、それはそれで楽しいと思う。







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