村上春樹を読む
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村上春樹の小説「海辺のカフカ」を読む


「海辺のカフカ」は村上春樹の名を国際的なものにする上で決定的な役割を果たした作品だ。この作品には「フランツ・カフカ」賞が贈られたが、その賞はノーベル賞につながるものだといわれている。村上はこの作品によって、世界規模での大作家となったわけなのだ。

この作品がこれほどまでに世界中の人々をひきつけたわけは、テーマの普遍性にある。村上の小説はもともとテーマとは一線を画しているものが多いのだが、この作品は珍しく分かりやすいテーマを追求している。それも西洋人にとって分かりやすいテーマだ。

西洋人にも日本人にも分かりやすいテーマは世界中に生息する人間すべてにとっても、分かりやすいテーマということなのだろう。村上春樹はいまや、日本の国民作家という範疇を超えて、人類共通のお手本といえる存在に昇華したわけなのだ。

テーマの柱、つまりメインテーマといえるものは、子どもの成長ということだ。15歳の少年が自立のための放浪に出て、さまざまな経験をした挙句、大人への道に一歩踏み出す。これは人類の誰にとっても分かりやすいテーマだし、時には感動的でもありうるテーマだ。

このテーマを村上は、少年の父親からの自立を意味する家出と、そこからの帰還という形で提出している。これと平行して、現実世界から非現実世界への旅立ちとそこからの帰還というサブプロットを介在させている。

現実世界と非現実世界の往還というテーマは、西洋人には最も分かりやすいテーマであり、古来児童を対象にした口承文学の最大のテーマになってきたところだ。村上はこうしたテーマを、ユング派精神病理学者の河合隼雄から学んだのかもしれない。

少年の放浪はまたオイディプス神話を介在させている。この神話は最初の部分では単に「予言」という形で提示されるだけだが、話が進むにつれて明確な形をとるようになる。予言とは少年によれば、父親を殺し、母親と交わるというものだった。オイディプスが受けた予言と全く同じ予言である。

この運命的な予言にまつわる壮大な神話は、この小説にも壮大な展開の仕掛けを与えた。読者はこの少年が実はオイディプスの現在の姿なのだと納得することによって、この小説を壮大な悲劇として読み解く心構えをするのだ。

この小説には少年のほかにもうひとりの主人公が出てくる。知的障害者として設定されている初老の人ナカタさんだ。

この小説はこのナカタさんにまつわる話と、少年にまつわる話とが交互に進行するという展開をとっている。つまり二つの独立した物語が、スタートラインではそれぞれ無関係に始まり、物語の進行につれて互いに響きあうようになり、最後には融合してしまうという構成をとっている。小説の構成としては、非常にユニークなものだ。

二つの物語は基本的には独立しているが、話のベクトルがちょうど逆向きになっているという意味で、深いところではつながりあっている。この小説では、少年は放浪の過程で大人へと成長していくのに、ナカタさんは失われた自分を取り戻す旅にでるのだ。つまり半分のパートでは少年の未来に向かっての成長が語られ、残りのパートでは老人の過去に向かっての回帰が語られる。一方は獲得の物語、他方は回復の物語だ。

少年が旅に出るきっかけとなったのは、父親と一緒に暮らしていては、きっと近いうちに父親を殺すことになるかもしれないという恐怖からだった。少年はそれをカラスと呼ばれる少年から聞かされた。といっても第三者ではなく、少年の無意識の部分が形象化されたもの物だ。少年は自分を田村カフカと名乗るが、カフカとはチェコ語でカラスを意味するという。

他方ナカタさんのほうは、そもそも普通の少年であった自分が、あることがきっかけで記憶を失い、知的能力がなくなったと信じている。その能力をナカタさんは、物語の進行と共に、取り返せるのではないかと思うようになる。こうして彼の旅は、最初は無自覚的なものだったが、次第に失われた自分を取り戻すための、回復の旅となる。

ナカタさんが記憶を失ったきっかけは、戦争中のある出来事だった。疎開児童だったナカタさんは、ほかの生徒と一緒に女の先生に引率されて山の中まできのこ狩りにでかける。そのときに未亡人となって欲求不満を感じていた女教師が性的夢想にふけり、ナカタさんをつよく折檻した。それが心の傷となって、ナカタさんは知的障害を蒙ったのだった。

少年とナカタさんの物語は、最初は交差するところがないそれぞれ独立の物語として始まる。しかしひとつの不思議な石が、二人の運命を結びつける。その石は現実空間と仮想の非現実空間とを結ぶ出入り口のようなものだった。ナカタさんはその出入り口の扉を開けるために石と格闘する。その結果、こじ開けられた出入り口を通って少年がこの世とあの世とを往復する。ユングの御伽噺の解釈を思わせるような話の構成だ。

石が扉を開けるのと前後して、佐伯さんと呼ばれる女性が謎の死をとげる。佐伯さんは少年の母親であると明示される。その母親は少年より一歩先駆けてあの世に移行し、そこで息子がやってくるのを待つのだ。

少年は母親と知りながら佐伯さんとセックスをする。それは少年からというよりは佐伯さんのほうから仕掛けてきたものだった。佐伯さんも少年が自分の息子であることはうすうす分かっている。分かっていながら何故母子相姦しなければならなかったのか、村上は触れていない。あるいはそれが運命というものの魔力なのだといいたいのかもしれない。

母親の死に先駆けて父親も殺される。実際に手を出して殺したのはナカタさんだ。だがナカタさんは自分の意思でジョニーウォーカー(少年の父親)を殺したのではなかった。ナカタさんには他人の霊を受け入れて、その霊の意思を、霊に変わって遂行するという定めに悩んでいる。この場合も少年の生霊がナカタさんに乗り移って、父親殺しをさせたと暗示されている。

暗示というのはほかでもない。少年には現実に父親を殺したと思い当たるフシがないためだ。父親が殺されたその時間帯に少年は四国の香川県にいた。だから物理的に父親を殺せるわけがない。だが生霊となってナカタさんに取り付き、ナカタさんの手を借りて父親を殺すことはできる。実際、父親の殺された時間帯に、少年は意識を喪失し、目覚めたときに大量の血を浴びていることに愕然とする。これは少年の生霊が時空を超越して父親殺しを犯したということを暗示している。

この小説では、少年は自分の結末を見出すことのできた唯一の人物だ。ほかの人物たちには結末がない。それらしきものがあるといえば、それは死だ。まず佐伯さんが死ぬ、ついでナカタさんも死ぬ、父親が死ぬのは少年との関係の延長としてだから、そもそも結末というものは考えられていなかったともいえる。その他の人物は、物語の終りとともになんとなく消えてしまうといった風情だ。村上の小説にはよくあるパターンだ。

以上、この小説のテーマと結構について聊かのことを述べた。こうした小説は村上以前にはほとんど書かれたことがない。日本人の文学としては型破りだ。その型破りなところが、たまたま人類に共通する普遍的なテーマと通底していたということかもしれない。



「海辺のカフカ」の文体:村上春樹の世界
村上春樹のトランスジェンダー観
母子相姦:海辺のカフカ
姉なるもの:海辺のカフカ





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