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村上春樹「辺境・近境」


「辺境・近境」は、村上春樹が1990年代に書いた紀行文を一冊にしたものだ。七編の旅行記からなる。国内のものが三本、国外のものが四本だ。国内編は、1990年の夏に行った瀬戸内海の無人島滞在の記録以下、三日かけて讃岐のうどんを食い歩いた記録、そして1995年の大地震から二年後に自分の故郷である神戸の町を歩いた記録からなる。国外編は、1991年の秋に書いたイースト・ハンプトンの印象記を手始めに、メキシコ大旅行、ノモンハンの鉄の墓場、そしてアメリカ横断の記録からなる。それぞれ味わいのある紀行文だが、もっとも迫力があるのはメキシコ大旅行の記録と、ノモンハンの鉄の墓場の記録だ。

村上はヨーロッパから中東にかけて広い範囲で旅行したようだが、東へ行くにしたがってタフでハードなものになったといっている。イタリアにも独特のハードさがあったが、ギリシャのそれはイタリアの比ではない。ところがボスポラス海峡を渡ってアナトリアに入るとハードさは比較を絶するようになる、というのだが、メキシコのハードさは比較を絶するというよりも、体験するのが辛いような、つまり命にかかわるような、強烈な部分があったようだ。

なにしろ、バスに乗っているうちに、武装警察官の集団が乗り込んできて、乗客を鼻であしらう。かと思うとバスの窓から見えた荷車に人間の死体のようなものが乗っていた、といった具合に、およそ日本人の感覚のスケールを逸脱した異様さを体験させられたというのだ。

それに、日常的な生活も異様なリズムに包まれている。ものはなくなるし、子どもたちからはひっきりなしに金をせびられる。メキシコの子どもは、外国人を見ると、金をせびると言うのだ。せびるといっても、ただ金を要求するわけではない。ものを売りつけるのだ。村上は、ある少女からあるものを買ったが、その時に、値切った挙句に成立した4.000ペソの値段に対して小銭が3.500ペソしかなかった。そこで3.500ペソにまけてくれと言ったところが、少女が悲しそうな目に更に憂いを浮かべて村上を見つめ続けた。そうして長い間見つめたあと3500ペソを受け取って去っていったというのだが、その折に村上は、小銭のほかに10.000ペソの札を持っていたという。10.000ペソといっても、日本円に換算すると数百円だ。わずかそんな金額のために村上は、何故その少女を悲しませたのか、筆者にはわからないところがあるのだが、ともかく村上は、そういう事例を持ち出して、メキシコのハードさについて説明するわけである。

村上はインディオに対して、連帯感のようなものを抱いたとも書いている。それはインディオの音楽のリズム感が村上の感性に訴えたということらしいが、それは筆者にもわかるような気がする。なにしろインディオの祖先は縄文人と親戚同士だった可能性が高いわけだから、現代のインディオと日本人との間に、心の無意識の部分に共通したものが流れていても不思議ではないわけだ。もっとも村上は、そのことについて深追いはしていない。

ノモンハンは、「ねじまき鳥クロニクル」の舞台となったところだ。この小説を書いたとき村上はノモンハンには行ったことがなくて、想像で書いたというのだが、チャンスがあって現地に行って見ると、そのスケールの大きさに驚かされたということだ。このスケールの大きな平原を舞台に、日本軍とソ連・モンゴル連合軍が死闘を繰り広げた。その時の死闘を想起させるように、戦車の残骸がそのままの姿で放置されていたりする。それらを見ると、ノモンハン事件のもつ意味が改めて問われると感じたらしい。

村上が意外に感じたのは、ハルハ側をはさんで、満州側のノモンハンと対岸のモンゴル側とが相互に往来できないことだった。本当に目の前にあるにかかわらず、そこにゆくには、一旦北京にもどり、そこから飛行機でウランバートルに飛び、そこから鉄道を乗り継いで行かねばならない。どうやら村上がノモンハンを訪れたときには、中国とモンゴルとの関係はピリピリしたものだったらしいのだ。

「ねじまき鳥クロニクル」の中では触れていなかったが、この紀行文の中で村上は、日本側の作戦のひどさに怒っている。ほとんど準備らしい準備もなく始められ、いきあたりばったりの作戦に翻弄されて、数万の日本の若者が消耗品のように死んでいった、と言って当時の日本軍を非難している。それに比べればソ連のほうは、補給路の確保を始め、準備万端のうえで臨んだと言っているが、そう言いつつも、ソ連側にも甚大な損害が出たことに触れている。いずれにせよ、ノモンハン事件の全貌はまだ明らかになっていない。そんな状態のもとで、戦争の傷跡が、まるで昨日の出来事のように、そっくりそのまま残されているというわけである。

ところでノモンハンの草原では、負傷するとその傷跡にすぐ蛆がたかるのだそうだ。通常銀蠅の卵が蛆になるのに三日かかるが、ここでは十分で蛆になるという。だからノモンハンで倒れたり負傷した日本兵にも、瞬く間に蛆が湧いたはずなのだ。この話を村上は、ノモンハンで始めて聞かされたという。もっと早く知っていたら、小説の中の描写に取り入れただろう。

村上らを案内したモンゴル軍の士官が、偶然見つけた狼を追い詰めて殺すところが出てくる。狼は人間にとって絶対に殺さねばならない敵だというのである。その狼を追い詰めるモンゴル人下士官の表情が、なんともいえぬ迫力をもって描かれている。「ねじまき鳥クロニクル」では、モンゴル人の兵士らしきものが日本人の皮をゆっくりと剥いでゆく場面が出てくるが、この紀行文のなかの下士官が狼を一歩づつ追い詰めるところは、それと似たような感慨を催させる。この辺は、紀行文に想像力が絡んで、曖昧なものになってしまっている、と感じさせる。







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