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村上春樹「職業としての小説家」


村上春樹の最新の本「職業としての小説家」は、村上本人が「自伝的エッセイ」と言っているように、彼自身の小説家としての今までの生き方を振り返ったものだ。彼はこれまでにも、さまざまな機会に自分の小説家としての生き方を語ってきており、そういう点では目新しいものは見当たらないのだが、一冊の本にまとまったものを見ると、村上の小説家としての生き方が多面的・重層的に展開された形で描かれているので、村上という作家に関心を抱いているもの、たとえば筆者のようなものには、それなりに読んで面白い本だ。

その文体からして、特定の読者(たとえば小説家を志す人々)に語りかけているようにも聞こえるが、村上本人が自分自身に納得させようとしているようなところ(自問自答のようなところ)もある。いづれにせよ、読者の多くは、村上が自分に向かって語りかけているような親しみを、文章の端々から感じるに違いない。

村上はこれまでも、自分の創作のスタイルに言及して、事前に構想した計画にもとづいて物語を体系的に展開してゆくのではなく、「いきあたりばったり、おもいつくままどんどん即興的に物語を進めていきます」という。そのほうが書いていて断然面白いし、物語自体も生き生きとしたものになるからだというのだ。その場合にポイントとなるのは、自分自身の心の深層に降りていって、そこにあるどろどろとしたものをそのままの形で掬い上げてくることだ。人間というものは誰でも、無意識の層にそうしたどろどろとしたものを抱えているが、それはその人固有のものだけではなく、人類共通のものを含んでいる。その共通のものが、小説に普遍性を付与するのだ、というような言い方を村上はしている。それゆえ彼は、自分自身の生活をコスモポリタンと意識するばかりでなく、自分の小説もコスモポリタンであり、人類にとって普遍的なテーマを取り上げているのだという自負を抱いているというのであろう。

このコスモポリタンな性格が、日本の文学業界になかなか理解されなくて、これまで同業者から酷い待遇を受けてきたのだろうと、村上自身は分析している。同業者からのえげつない攻撃について村上は、「彼等の多くは僕の書いているものを、あるいは僕という存在そのものを、『本来あるべき状況を損ない、破壊した元凶のひとつ』として、白血球がウィルスを攻撃するみたいに排除しようとしたのではないか」と書いて、その異常さを指摘している。

村上は日本のそうした動向からは超然とし、文学業界から何を言われても気にしてこなかったのだと思われているところもあるが、本人にとってはかなり応えるようなこともあったらしい。評者の名前は挙げていないが、さる批評家から自分の小説を「結婚詐欺」だと言われたときには、大分応えたと書いている。この評者が蓮見重彦であることは周知のことで、内田樹などは、蓮見のこうした決め付けを、これこそ詐欺のようなえげつないやり方だと言って批判する一方、村上の小説を擁護していたものだが、たしかにエスタブリッシュメントとしての日本の文学業界の村上に対する姿勢には大人気ないものがあったといえよう。

自分に向けられたこんなバッシングについて村上は、ポーランドの詩人ズビグニェフ・ヘルベルトの次のような言葉、「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」を引用して、自分自身を勇気付けている。その上で、日本の文化にあるコンフォーミズムの傾向について、次のように指摘している。「日本においてあまり普通ではないこと、他人と違うことをやると、数多くのネガティブな反応を引き起こすというのは、まず間違いのないところでしょう。日本という国が良くも悪しくも調和を重んじる(波風を立てない)体質の文化を有しているということもありますし、文化の一極集中傾向が強いこともあります。言い換えれば、枠組が堅くなりやすく、権威が力を振るいやすいわけです」

こんなこともあって村上は、日本の文学業界はもとより知識人といわれる人々とほとんど付き合いがなかったが、例外としてただ一人共感を抱きながら付き合うことができたのは河合隼男だったと書いている。河合は高名なユング学者でかつ臨床の治療家であったが、村上はそんなことにはかかわりなく、一人の人間としての河合に惹かれたのだという。その理由を村上は自分なりに分析しているが、単純化して言うと、物語というコンセプトを共有していたということらしい。「物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人を根元でつなぎ合わせられるものなのです。僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアントに向き合うことによって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。河合先生と僕はたぶんそのことを『臨床的に』理解しあっていた~そういう気がするんです」、こう村上は言って、河合とのあいだの深い共感を表現している。

だが村上は河合の書いた本を殆ど読むことはないという。読んだのはユングを紹介した略伝だけで、そのユングにしてからが、まったく読んだことがないという。これは筆者には新鮮な驚きを伴う発言だった。というのも筆者は、村上の書く物語には、ユングが展開し、河合がそれを敷衍した、人間の心(意識と無意識の厚い構成体)の構造についての深い了解が働いていたものと勝手に想像していたからだ。上述の短い引用からも伺えるとおり村上は人間の心の深層に降りていって、そこから物語に必要なさまざまな要素を掬い上げてくるという創作姿勢をとっていると思われるのだが、その心の(無論無意識の部分も含めての)あり方というのが、ユングの心の構造を想起させるわけである。

村上はユングや河合の書いたものは読んだことがないという。それでいながら彼の小説の世界は、ユングの(意識・無意識からなる)心の世界を想起させる。だがこれは別に不思議なことではないのかもしれない。村上も、またユングや河合も、人間の心の深部に降りていく過程で、全く同じものを見ていたのだと解釈すれば、彼等がそれぞれに展開した物語が同じ表情を見せるに至るのは、ある意味当然のことなのだ。

このほかこの本には、ある日神宮球場で贔屓のヤクルトの試合を見ていたのがきっかけとなって小説を書き出したというエピソードとか、小説を書くには身体の強靭さが必要だとか、学校の勉強が面白くなかっただとか、それぞれに愉快で洒落た話が散りばめられている。日頃の村上ファンならずとも、読んで損はしないと思う。







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