村上春樹を読む
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村上春樹「村上朝日堂」


「村上朝日堂」は、村上春樹の最初のエッセー集である。エッセーというより雑文と言ったほうがよいかもしれぬこれらの文章を村上は、「日刊アルバイトニュース」という情報誌に一年以上にわたって連載した。自分にとって最初になるエッセーの連載を何故情報誌に載せたのか、村上は明言していないのだが、媒体がエッセーを読むことを目的とした人々を当面の対象としていないこともあって、村上はかなり気楽に文章を書いている。

そんな気楽さが作用しているのかわからぬが、村上は自分の生き方というか、生きるうえでのこだわりを結構しつこく書いている。村上のこだわりのうち、もともユーモアに富んでいるのは、野球へのある種の偏愛だ。村上のスワローズびいきは相当なもので、折に触れて自分のスワローズへの愛に言及しているのは周知のとおりだが、このエッセー集はその最初のお披露目の舞台となった。最初のエッセー集で自分のスワローズへのこだわりを披露するとあって、村上は何故自分がスワローズびいきになったか、その秘密をとく手がかりを読者にそれとなく示している。

村上は一時期神宮球場の近くに住んでいて、その時期には暇さえあれば神宮球場に足を運んでスワローズの試合を見ていた。どうやらそれが機縁となってスワローズファンになったらしいのだ。人間関係で最も基本的なことはお近づきになることだ。人間お近づきになれば互いに親愛の情を抱くようになるものだ。そういう、単純でありながらしかも深淵な道理に従って自分はスワローズファンになった。そのことについて自分は何らの疑問をも持っていない。そういう、ある種の開き直りのようなものが、村上の文章からが伝わって来る。

こんなことを披露されると、村上ファンとしてはほくそ笑んでしまうところだ。そのついでに自分の野球へのこだわりについても反省させられる。筆者についていえば、筆者はとくに贔屓にしているプロ野球チームはない。子供の頃はライオンズファンだった。それは母親の影響が作用していたのだと思う。筆者の母親は九州生まれとあって、熱烈な西鉄ライオンズファンだった。特に稲尾投手(九州出身)の大ファンで、稲尾への母親の思い入れは、それは信仰に近いものだった。それゆえ、1956年から三年連続でライオンズが日本一になったときの騒ぎぶりは尋常ではなかった。母親が夢中になって喜んでいる顔を見れば、子供もうれしくなるものだ。それで筆者も熱烈なライオンズファンになったというわけだ。

西鉄ライオンズが三年連続で日本一を達成した頃、筆者の家は千葉県の佐倉というところに引っ越してきて間もなかった。佐倉はジャイアンツの長島の故郷であるところから、子供たちは一人残らずジャイアンツファンだった。そのジャイアンツを破って日本一になったライオンズはだから、佐倉の子供たちにとってはにっくきかたきだった。そのかたきのライオンズを筆者が応援していることを知った悪がきたちは、子供である筆者に猛烈な敵対心を抱き、ことあるごとに筆者を迫害しようとした。そんな悪がきたちに筆者は敢然と立ち向かい、こう叫んだものだ。「そんなに悔しかったら、稲尾の球を打ってみろ!」

村上春樹がいまだにヘビーなスワローズファンであるのにくらべれば、筆者のライオンズびいきは長続きしなかった。ライオンズがフランチャイズを九州から関東へ移すと、筆者の母親はあまりライオンズに拘らなくなり、その子供である筆者もライオンズのファンでなくなってしまったのだ。それ以来筆者は特定のプロ野球チームを贔屓にすることはなくなった。

人間のこだわりにはプラス方向のものとマイナス方向のものとがあって、プラス方向のこだわりは偏愛と呼ばれ、マイナス方向のこだわりは嫌悪と呼ばれることが多い。村上はそのこだわりがかなり強いたちのようで、とりわけ虫に対するこだわりが強いようだ。虫でも種類に応じて村上は違った感情を抱くらしい。蟻やトカゲに対しては同情のこもった感情を抱くのに対して、毛虫に対しては嫌悪を感じると言っている。

村上は千葉県船橋市の役人たちに否定的な感情を持っていると、ことあるごとに明言しているが、その理由は、村上が船橋市に住んでいるときに、船橋市の役人たちが住人に何の挨拶もなく殺虫剤を散布し、町中を毛虫の死骸だらけにしたことにあるらしい。いま現在船橋市の住人である筆者などは、そんな話をきかされると、さもありなんという気がしないでもない。彼らにはたしかにいい加減で依怙地なところがある。なにしろいまだに、例の人気者フナッシーを公認扱いにしないのであるから。

筆者には、村上のようには、虫へのこだわりはない。どんな虫を見ても平気であるし、触れても気にならない。ただ蛇だけは苦手なところがあって、普段はそんなに気にはならないのだが、道を歩いていて突然現れたりすると、ぞっとすることがある。これは母親からの影響ではない。筆者の母親はカニが大嫌いだったが、蛇に関しては一向にこだわるところがなかった。筆者はその逆で、カニについてはなんらこだわりを感じないが、蛇については、できればかかわりあいになりたくない。

村上は、食べ物にも強いこだわりを持っているようだ。食べ物へのこだわりは普通、好き嫌いという。村上は食べ物の好き嫌いが激しいようなのである。肉は牛肉以外はすべてキライだとか、中華料理はいっさい受け付けないとか、その好き嫌いぶりは尋常ではない。筆者などは、肉はどんなものでも食うし、中華料理にいたっては、和食をのぞけばこんなにうまいものはないとまで思っている。一ヶ月以上中華料理ばかり食わされても飽きないだろう。村上の中華料理に対する姿勢には、味覚の問題というよりは、別の事情が働いているようなのだが、それは明らかには言及されていない。要するに中華料理は村上の生き方のスタイルにマッチしないということらしいのだ。

肉も中華料理も食わないで、一体何を食うのかというと、どうやら村上は豆腐ばかりを食っているようである。村上の豆腐好きは、これまた尋常ではなく、毎日毎日、それこそ主食のようにして食っている。筆者も豆腐は好きであるが、主食代わりに毎日食うというわけにはいかない。精々二・三日に一度、晩酌の添え物として食うくらいだ。

はかにもこのエッセー集では、村上のものごとへのこだわり振りが種々紹介されている。たとえば、引越しが好きなこと、電車の切符をなくしやすいのでどうやったらなくさずにすむか拘り続けていること、フリオ・イグレシアスは頭が空っぽだと言い続けなければ気がすまないことなど、様々なこだわりについての言及がある。なかには警察が好きでないこととか、拷問の方法にはスマートなのとグロテスクなのとがあるといったへんなこだわりもある。

といった具合で、読んでいておのずと楽しくなるエッセー集だ。







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