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村上春樹「蛍、納屋を焼く、その他の短編」


「蛍、納屋を焼く、その他の短編」に収められた五つの短編の執筆時期は、一番古いのが「納屋を焼く」(1982年11月)、一番新しいのが「三つのドイツ幻想」(1984年3月)である。「羊をめぐる冒険」(1982年10月)を書き終えて、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(1985年6月)にとりかかる以前の時期だ。村上は、長編と短編を交互に書く癖があったようで、そのサイクルから言えば、「羊」と「世界」の二つの長編の執筆時期に挟まれた中間期に書かれたということになる。

村上の短編小説には、いろいろな意図を込めたものがあるが、その中には、長編小説の準備のようなものや、長編小説のために構想したプロットを独立させて短編に仕立てたものがある。この短編集に治められた5編の作品にも、なんらかの形で村上の長編小説を連想させるものがある。

「蛍」は「ノルウェーの森」を強く連想させる。主人公の僕が右翼の経営する学生寮に入っていることや、その僕と彼女との中途半端な関係は、「ノルウェーの森」のプロットと非常によく似ている。彼女は最後には精神病院に入ってしまうのだが、「ノルウェーの森」の直子もやはり精神病院に入ることになっていた。執筆順序から言えば、「蛍」のほうが何年か早いので、「蛍」の構想を「ノルウェーの森」に取り入れたのか、あるいは「ノルウェーの森」を構想しているうちに、その一部を独立させて短編に仕立てたのか、そのどちらかだと思える。

「納屋を焼く」は、女が突然消えてしまう話として読むことが出来る。この作品の直前に書きおわった「羊」においても、主人公と親密な関係にあった女性が物語の途中で突然いなくなっていた。だからこの短編には「羊」との関連が指摘できると思う。女が突然いなくなる話は、「ダンス・ダンス・ダンス」以降の長編小説でも繰りかえされるパターンであり、村上好みのテーマなのだろう。一つ指摘するとすれば、この短編では、女のいなくなることが物語の帰結を意味しているのに対して、後年の長編小説では、物語の発端になるということだ。

「めくらやなぎと眠る女」は、主人公がいとこの男の子に付き添って病院に行くという話で、その過程で昔ある少女を見舞ったことを思い出すというものだ。病院に若い女を見舞うというプロットは「ノルウェーの森」でも出てくる。「ノルウェーの森」の直子は心を病んでいるということになっているが、この短編の中の少女は肋骨の一部に畸形があって、それを矯正する手術を受けたということになっている。しかし、少女が友人の恋人だと言う点や、その言動に心のゆらぎを感じさせるところなどは、「ノルウェーの森」の直子を彷彿とさせる。

「踊る小人」は、これに対応するようなプロットをもつ長編小説は見当たらない。村上はこれを実験的な短編小説として、純粋に作家としての楽しみから書いたのだと思う。他人の体を乗っ取るというタイプの話は、ありふれた話のようで、なかなかの不気味さを伴っているものだ。こういう作品を読むと、物語作家としての村上の資質が、実にわかりやすい形で示されていると思えてくる。

「三つのドイツ幻想」は、冷戦時代のベルリンという閉鎖空間を舞台にしている。というか、閉鎖空間そのものがテーマになっている作品だ。その点で、閉鎖空間を舞台とした長編「世界の終わり」に通じるところがある。世界の終わり」の閉鎖的な空間としての壁の内部は人間の心の一部という位置づけなのに対して、この作品の中の閉鎖空間はベルリンという都市の物理的に閉鎖された空間だ。その点でわかりやすい。村上はこの作品の中での、物理的な閉鎖空間のアイデアを、象徴的な閉鎖空間に切り替えることで、「世界の終わり」の独特の空間を描き出せたのではないか。

以上、この短編集に治められた諸作品は、それ自体で完結した小さな物語であることに留まらず、彼の主要な長編小説との関連やら、彼の創作のスタイルやらを考える糸口を与えてくれるものと言えよう。







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