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夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです:村上春樹の創作姿勢

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」という変わった題名のインタヴュー集は、色々な角度から村上春樹と云う作家の創作姿勢を垣間見せてくれる。個々の作品を深く理解するうえで参考になることもある。

彼の書く小説にはやたら長いのが多い。それは小説を書き始めた時点で、小説の結末がみえていないということと深い関係がある、と村上本人が語っている。村上春樹と云う作家は、あらかじめ頭の中に描いた設計図に従って、小説を書いていくタイプの作家ではなく、小説のその時々の流れに導かれるようにして、物語を綴っていくタイプの作家だということを、本人自身が明かしているわけだ。

村上は、次のように言っている。「僕は何かを決めて小説を書くわけではない。やってくるものをそのまま文章にするだけです」

この「やってくるもの」とは何か。それを村上は目覚めながらにして見る夢のようなものだといっている。この夢は寝ているときに見る夢とは違って、毎日連続してみることができるし、昨日終わったところからの続きを今日見ることもできる。その点である程度コントロール可能だが、夢としての自立性も持っている。作家はその自律的な夢のもつ内容を文章に置き換える作業をするわけだ。

夢であるから、この世の現実とは異なった相貌を持つ。それはこちら側とあちら側、身体と心、生と死の境界をいとも容易に乗り越える。作家は脱魂型シャーマンのように、この境界を自由に行き来しながら、境界の彼方に生起する出来事を書き綴る。それは物語の形をとるだろう。

それ故村上は、「作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなものです」というわけなのだ。「それは、論理をいつも介入させられるとはかぎらない、法外な経験なんです。夢をみるために僕は毎朝目覚めるのです」

村上が作家になったのは29歳の時だ。それまで彼は配偶者と一緒にジャズ喫茶のようなものを経営していた。経営と云っても実際は肉体労働だったと村上自身が語っている。

作家になったきっかけは些細なことだった。ヤクルト・スワローズのファンである村上は、ある日神宮球場で対広島戦を観戦していた時に、スワローズの先頭打者デーヴ・ヒルトンが完璧なヒットを打った。それを見た瞬間村上は小説を書こうと決意したのだ。

それはどうも自分自身のためだったらしい。無論小説が人々に広く読まれるのは嬉しかったが、別に売れないからといって、筆を放り出すことはなかったのじゃないかといっている。文章(小説)を書くことは村上にとって、呼吸するのに劣らない、自分にとっての本質的な生き方にまでなったようだ。

村上の作品の殆どは一人称で書かれている。しかし一人称では、ドストエフスキーのように壮大な小説を書くことはできない。そのために最近は三人称の小説が書けるように努力しているという。それが実った暁には、村上なりに総合小説が書けるのではないか、そうこの作家は自分に言い聞かせているようだ。







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