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親子とは:1Q84


青豆も天吾も不幸な親子関係の中で育った。青豆は両親からカルト教団への信仰を強制され、それを嫌悪して両親と絶縁した。天吾の母親は彼が2歳の時に死に、父親の手によって育てられた。その父親はNHKの集金人をしており、幼い天吾を連れて、集金をしてまわった。まわる先々で、父親は子供を連れていることで相手の同情を買おうとした。また支払いを拒む連中には口汚くののしった。天吾はそんな父親に対して複雑な感情を抱いたが、やがて父親のもとから飛び出して、自立するようになった。

天吾には母親についての記憶があった。それは天吾が1歳半頃のこと。寝ている天吾の隣りで、母親は下着姿で、父親でない男に乳首を吸わせている、その乳首は本来自分だけのためにあるべきはずのものなのだ。だがせいぜい1歳半にすぎない赤ん坊に、そこまでの細かい見分けがつくものだろうか、それは天吾が自分の身を守るために作り上げたフェイクの記憶なのではないだろうか。

もしかしたらそうかもしれないと天吾は考える。天吾は自分の父親が好きではない。父親のみじめったらしい生き方が好きではないし、風貌も自分とはまったく似ていない。父親はずんぐりむっくりして、野卑な顔つきなのに対して、天吾のほうは背も高くスマートで、女性に好かれる顔立ちだ。そんなところから天吾は、この男は自分の生物学上の父親ではないと考えることもある。母親の乳首を吸う男はだから、代替の父親として、天吾の夢想が作り上げたフェイクの記憶ということもありうる。

天吾はそんな心の中のわだかまりを、父親に直接ぶつけたことがなかった。父親の方も天吾に対して心を開くということがなかった。

父親はNHKを定年退職になっていくばくもたたないうちに、千倉の海岸近くにある病院に入院した。天吾はその際に一度だけ立ち会ったが、その後2年間一度も父親を見舞ったことはなかった。だが2年たったある日、天吾はふと思い立ってその病院に父親を訪ねた。訪ねた目的は、父と母と自分との関係を、父親の意識がまだ働いているうちに確認しておきたいということだ。

天吾は父親に向かって「お父さん」と呼びかけ、「あなたの息子です」といった。すると父親からは思いがけない言葉が返ってきた。「私には息子はおらない・・・あなたは何者でもない」と。

全く想定外の答えではなかったが、やはり天吾にはショックだった。この男が自分の本当の父親ではないとすると、いったい誰が本当の父親なのか。その問いかけに対して父親は、「ただの空白だ。あんたの母親は空白と交わってあんたを産んだ。私がその空白を埋めた」と謎めいたことをいうばかりだ。

天吾は父親の言っていることの意味が呑み込めない。すると父親は「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ」といって、その後は一切口をとざしてしまう。天吾は二度と父親と会話することはない。

父親はもともと、この病院で死ぬつもりだったらしい。入院する際に、アパートをはじめそれまでの生活の痕跡を一切消してしまった。最低限必要なものを除き、何から何まで処分してしまったのだ。彼は恐らくこれ以上生きていく理由を見失ってしまったのだろう。

父親は最後に天吾とあったのち、急速に死に向かって突き進んでいく。身体には何も異常が見えないのに、眠ったきりで、確実に衰弱していく。医師の目にもその原因が見えない。父親は、自分の意思に基づいて死への道を選び、自分の意思で死を掴み取ろうとしているようなのだ。

それでも父親の霊魂は簡単には衰弱しない。その霊魂は身体を抜け出て、NHKの集金の仕事にでかけていく。その霊魂は最初にふかえりのところにやって行って、受信料を払わない人間はドロボーだと毒づく。青豆のところにも二度も行って、執拗に支払をせまる。青豆は息をひそめて相手があきらめて立ち去るのを待つ。集金人の言い方はねちねちとして、聞いているものをいらだたせる。そこには卑屈さと傲慢さとが共存している。人間として最もいやらしく、ぞっとするようなものが含まれている。

青豆はこの集金人のことをタマルに話す。その部屋はちゃんとNHKと契約してあるし、契約済証も部屋の玄関のワキにはってあるはずだ、NHKの集金人がそれに気づかないわけはない、とタマルはいう。だが集金人はこういうのだ、「高井さん、こんにちは・・・毎度おなじみのNHKの者です。御迷惑でしょうが、またまたこうして集金に伺いました。高井さん、あなたはそこにおられますね・・・逃げおおすことはできませんよ、高井さん。あなたが電波を受け取っているかぎり、わたくしは必ずやここに戻ってきます。そうそう簡単にはあきらめない男です。それがわたしの性格です」

高井とは、青豆のいる部屋の標識に記された名だ。集金員はまた、牛河のところにもやっていった。牛河はいきなり部屋のドアを叩かれてびっくりするが、答えないでいると、集金人の立ち去っていく様子が聞こえる。だがその集金人は、アパートの玄関から外へ出ていった様子がないのだ。牛河は、その男がいつまでもアパートのどこかに潜んでいるのかもしれないと推測する。しかし集金人として牛河の前に現れたものは、天吾の父親の霊魂なのだから、普通の人間の目には見えないだけなのだ。

父親は死後天吾に一枚の家族写真を残した。その写真には、明らかに若い時の父親とわかる男と並んで、若い女性と赤ん坊が写っていた。赤ん坊は自分に違いない、そしてこの若い女性が自分の母親なのだろうか。天吾は、1歳半の時のあの記憶をよびさまし、そこに出てくる女の顔と、この写真の女の顔とが一致するかどうか、検討してみた。

はっきりしたことはわからない。しかしそれが自分の母親であることはほぼ間違いないようだ。それにしても、この写真を見るのは、天吾には初めてだった。父親は生きている間に、そんな写真のあることは一言も言わなかった。そして最後まで何も言わないまま、この写真だけを残して死んでいった。

天吾の母親のことに関しては、牛河が調査していた。牛河は天吾の身辺調査の延長上に母親の最後の事情も調べ上げたのだ。母親は若い男と逐電し、温泉旅館に滞在しているときに、その男によって殺されたのだった。男は結局捕まらなかった。後には赤ん坊が残されたが、女の夫がやってきてその赤ん坊を引き取っていった、ということだ。

牛河は天吾が母親の消息を知りたがっていることを知って、教えて差し上げようと申し出たことがある。その際は天吾に謝絶されて、その話をすることはなかった。結局牛河は天吾に母親の最後を話すまえに、田丸によって殺されてしまうのだ。







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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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