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村上春樹の警察嫌い?:ダンス、ダンス、ダンス


村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」の中で、僕が赤坂警察署の刑事に尋問される場面が出てくる。それを読むと筆者などは、この人は警察が嫌いなのかなと思ってしまう。嫌いという言い方がきつすぎれば、好きでない、あるいは好意を感じていないと言い換えてもよい。

僕はある日突然二人の刑事の訪問を受ける。僕はその最初の出会いから、彼らに違和感を感じざるを得ない。その違和感はそのうちに反感になり、反感は怒りに変わり、それが無力感へと変じていく。こうしたプロセスのどのステージにあっても、僕は彼らと打ち解けることはない。彼らは僕とは違う次元に生きている、不可解な生き物に過ぎない。

まず、彼らは貧乏たらしい身なりで僕の前に現れる。

「どちらもあまりファッショナブルとはいえない革靴を履いていた。道に落ちていたらよけて通りたくなるような代物だった。安物で、しかもくたびれている。どちらの紳士も僕が友達になりたいと思うようなタイプではなかった。漁師と文学と僕はとりあえず名前をつけた」

例の刑事コロンボを連想させるようなくだりだ。コロンボはよれたコートに泥だらけの靴を履き、ポンコツの車を乗り回す貧乏くさい刑事だ。しかしどこか憎めないところがあるし、時には警察らしい精悍さもかんじさせる。だがここに出てくる赤坂警察署の刑事たちは、単に貧乏くさいだけの連中として描かれている。これは作者が警察をよく思っていない証拠ともいえる。

次に彼らは無教養な人間として描かれている。彼らは朝日新聞をとったり、<世界>を読んだりする人間を嫌悪しているようだが、それは彼らが教養のある人間を憎悪していることの表れだ。彼らにとって教養のある人間とは、犯罪者とあまり異なるところはないのである。

彼らはまた狡猾である。二人で役柄を分担して僕を神経的に参らせ、そこから自分たちにとって都合の良い供述を引き出そうとする。時には脅したりもする。

「誤解されると困るけど、別に脅してるんじゃないよ、と漁師がいった。忠告してるんだ、彼は。我々だってあんたを不快な目に合わせたいと思っているわけじゃない」

これが一種の恫喝であることは明らかだ。やくざが善良な市民を恫喝するときによく用いる手口だ。警察もやくざも相手を威圧しようとするときには、互いによく似た手口を使う、と作者は言っているようだ。

しかし僕はそう簡単には脅しに乗らない。そこで刑事たちは時には弱気を見せることもある。その弱気は、皮肉れたつぶやきとなって表に現れる。

「でも我々は任意同行してもらって、ごく簡単な質問してるだけですよ、と文学がいかにも驚いたという風に漁師にいった。
「だからさ、私は思うんだけど、この人はただ警察が嫌いなんじゃないかな。警察と名の付くものがとにかく何でも生理的に嫌いなんだよ・・・と漁師がいった」

警察は時には権力を乱用し、そのことで自分たちのちっぽけな自尊心を満足させることもある。たとえば、このケースの場合、鑑識の調査などから僕が犯人ではないと明確になったにかかわらず、彼らは僕を釈放せずに、留置し続けた。それは明らかな権力乱用だ。なぜ彼らがそんなことをするのか、理由を説明する必要はないし、疑われた方の人間も、くたくたに疲労させられて、そのことを問題にするエネルギーが残らないというわけだ。

こんな具合で、この小説の中に描かれている警察の姿は、あまり感心したものではない。少なくとも警察を肯定している人が書けるところではないといえよう。







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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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