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霊感少女ユキ:ダンス、ダンス、ダンス


村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」の登場人物の中で、主人公の僕と並んで重要な役割を果たしているのは、13歳の少女ユキだ。彼女はまだ大人ではないが、かといって無邪気な子供でもない。体つきは子供だが、考えることは大人に近い。周囲のことにほとんど関心を払わず、そのため人間らしい表情の豊かさがない。こんな少女が、主人公の僕に運命的な役目を果たしてくれる。彼女は霊感能力を持っていて、それでもって主人公に運命の謎を解き明かしてくれるというわけなのだ。

実際この小説は、「羊をめぐる冒険」の主人公だった僕が、その小説の中で突然消えてしまった女性の行方を求める旅を描いたものなのだが、その女性は最後まで現れず(現れても亡霊として)、そのかわりにこの13歳の少女が常に主人公の傍らにいて、恋人に近い役割を果たしているのだ。

そしてこの少女は主人公が探し求めている女性の今現在の状態を解き明かしてくれる、その女性は僕の中学時代の同級生五反田君によって殺されていたのだった。彼女はそのことを霊感によって透視する。主人公はこんなことを云われて、その言葉には信じる根拠が欠けていると思いながら、殆ど無条件に、直感的に信じてしまうのだ。

だがこの少女がこの小説の中で持っている存在の重みは、霊感の能力によっては測りつくされないだろう。彼女には、成長しつつある少女としての側面もある。そんな少女の成長ぶりに、主人公の僕もジグザグな感情を味わいながら、付き合わされる。その付き合いの中から、独自の会話の世界が展開する。会話小説の作家といってもよい村上春樹にとっては、僕とユキとの会話は、ほかのどんな会話とも異なったユニークな世界を展開するための舞台にもなっている。

もっともユキは饒舌な少女ではない。あまりしゃべることもないし、笑うこともない。表情はいつも無関心な様子に包まれている。彼女は自分の父親を軽蔑し、母親に対しても厳しい突き放した感情を抱いている。皮肉れた少女なのだ。

だから僕に対しても複雑な態度をとる。彼女はだいたい僕のいうことを素直に受け入れることはない。といって反抗するわけでもない。ただ「変な人」といって、一歩後ろに下がってしまうのである。

そしてまだ13歳の子供なのに、煙草を吸い、カクテルを飲む。世間の常識からいえば不良少女だ。

「彼女は毛皮のコートを脱いでハンガーに懸け、ガス・ストーブをつけた。そしてどこかからバージニア・スリムの箱を持ってきて一本口にくわえ、紙マッチをクールに擦って火をつけた。十三の女の子が煙草を吸うというのは良くないことだと僕は思う。健康にも良くないし、肌も荒れる。でも彼女の煙草を吸う姿は文句のつけようがないくらい魅力的だった。だから僕は何も言わなかった。」

このシーンなどは、外国語に翻訳されるにあたって、いつも物議をかもしてきた部分だ。意図的に省いてしまわれることもある。だいたい、13歳の少女に煙草を吸わせることが、物語の進行上どれだけの意味があるのか、そう問い返されると村上も、そのシーンを省くことを特に拒絶することもしない。飲酒にしてもそうだ。何故13歳の女の子に、煙草を吸わせたり酒を飲ませる必然性があるのかと、世界中の常識家たちは異論を唱えるのだ。

だが13歳であることは、かならずしも人間として不完全だということを意味しない。反対に18歳になった彼女が今より完全であるかというと、そうでないかもしれない、人間には最も輝く時期があって、それは人によってさまざまでありうる。中には死ぬ間際に輝きだす人もいれば、13歳で輝きの絶頂にいる人もいる、と僕は思う。

「奇妙なことに人間にはそれぞれにピークというものがある。そこを登ってしまえば、あとは下りるしかない。それはどうしようもないことなのだ。そしてそのピークがどこにあるのかは誰にもわからない。あるものは12歳でピークに達する。そしてあとはあまりぱっとしない人生を送ることになる。あるものは死ぬまで上り続ける。あるものはピークで死ぬ。・・・
 俺はどうなんだろう、と僕は考えてみた。
 ピーク、と僕は思った。そんなものどこにもなかった。振り返ってみると、それは人生ですらないような気がする。」

僕がこんな風に思うのも、ユキが13歳の少女として、そのままで輝いているように感じたからだ。一方34歳の僕は、いまだに失ったものを追い求めるだけで、自分らしい人生を生きていられない状態だ。僕はユキの生き方を目の前にして、自分の生き方を恥じているようにさえ見える。

実際ユキは大人らしい一面を見せることもある。僕がハワイで女の子を抱いたことを聞かされると、ユキは次のように言って僕を責める。その女の子はユキの父親が手配してくれた国際コールガールだった。

「でもそんなのひどすぎるわよ、とユキは乾いた声でいった。あなたはパパに女の人を買ってもらったのよ。それで何とも思わないの?
「確かにそのとおりだった。
「確かにそのとおりだ、と僕はいった。
「本当に本当に恥ずかしいことよ、とユキは繰り返した。
「そうだ、と僕は認めた。」

これではどちらが子供でどちらが大人か、俄には判断がつかないだろう。ユキはいつの間にか、分別のある社会人にすり変っている。

そして僕がハワイでキキの亡霊や6体の白い白骨を見て落ち込んでいると、ユキはまた、僕を励ましてくれる。

「僕はどう考えてもごく普通の当たり前の人間なんだ。どちらかといえば実際的な人間なんだ。なのにどうしていつもこんな奇妙なことにひきずりこまれてしまうんだろう?
「さあどうしてかしら?とユキはいった。私に訊かないで。私が子供で、あなたが大人なのよ。
「確かに、と僕はいった。
「でもあなたの気持ちよくわかるわよ
「僕にはよくわからない」

ここまで来ると、僕とユキの立場が、年齢を超越して逆転していることがわかる。ユキはユキなりに、この小説の中の短い時間に成長していたわけなのだ。

そのユキが、生まれつきの霊感能力を通じて、僕が求め続けてきた女の子キキが、親友の五反田君によって殺されていたことを解き明かす。僕はショックを受ける。彼女の言うことには、何らの物証もないのだが、明白な事実のように直感される。僕は彼女の前で、直感が示す事実の前に打ちのめされ、言葉を失うのだ。

物語の終わりに、ユキは自分の意思で家庭教師のところへ通うという決断をする。ユキはユキなりに、新しい生き方に向かって一歩を踏み出すのだ。そのユキの前から僕は永遠に姿を消すだろう。僕は札幌のドルフィン・ホテルに駆けつけ、ユミヨシさんと生活することを選択するのだ。







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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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