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村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」を読む


村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」は「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」とともに三部作をなすものだ。村上が職業小説家として初めて執筆した長編小説でもある。前の二作の延長線上の話として設定されているが、前の二作ほど凝集力がないのは、構成が長くなったことの結果かどうか、筆者には判断がつかないが、聊か冗長であるとの印象は逃れないと思う。

前の二作では、僕のほかにバーテンのジェイと友人の鼠が出てきたが、この作品では彼らの影は薄い。ジェイはついでに出て来るだけで、物語の進行には殆ど何の働きもしていないし、鼠に至っては、それこそ幽霊となって出て来るばかりだ。

この小説は、幽霊となった友人の行方を追う冒険物語であるとともに、羊に隠された不思議な秘密を解き明かそうとする推理小説でもある。そこが、同じシリーズとはいっても前の二作とは異なるところで、こうした余分な要素が付け加わったぶんだけ、作り物としてのわずらしさも備えている。

この小説がいささか凝集力に欠けていると筆者が感じたのは、登場人物の配置に計画性がないためもあろう。

主人公のほかに最も大切な役回りを果たしている耳の美しい女性は、「女の子」とだけ主人公に呼ばれているだけで、名前もない。彼女はまた高級コールガールということになっているが、そのことにいったいどんな意味があるのか、小説の中では触れられていない。ということは、彼女は別にコールガールでなくてもよかったわけだ。なくてもよいものはわざわざ設定する必要もない。

この女性は、主人公がこれから羊をめぐる冒険に巻き込まれていくだろうと、予言をした当の人物だ。彼女の予言したとおり、僕は羊を巡る冒険への旅へ出発するように仕組まれていく。それは文字通り運命的な選択として、僕に迫ってくるのだ。

その冒険に彼女もまた加わりたいと言いだし、二人してはるばる北海道の山の中まで一緒に行くのだ。それなのに彼女は何の前触れもなく、突然消え失せてしまう。それ以後は、彼女は物語の中に二度と出てこない。なぜ消えてしまったのか、そして二度と僕の前に現れないその理由とは何なのか、読者にはさっぱりわからない。

彼女がこの小説の中で果たしている役割が、このように不自然に断ち切られてしまうのは、それだけで彼女の存在理由の曖昧さを物語っている。それなら初めから登場しなくともよかったのだ。

少なくとも、自分の意思からではなく、羊の意思によって殺されてしまうとか、特別な装置が施されていなければ、彼女の存在理由をめぐる読者のストレスは解消されないままだろう。

鼠が幽霊となって現れるという設定も、よくわからないし、面白いとも思えない。だいたいメカニズムが支配するこの現代社会に、何故幽霊を登場させる必要があるのか。それも鼠の場合には、ただ死んだはずの人間が現れたというだけで、いささかも幽霊らしくない。足も生えているし、ビールも飲む。だいたいどこが幽霊だというのか。主人公の僕はともかく、読者としての筆者には納得できない。

たしかに幽霊としての鼠は羊男の姿を借りて僕の前に現れる。鏡の中を覗くと、僕の近くにいるはずの羊男の姿がうつっていないから、僕は無論、読者もまたこの男が幽霊なのだということを納得させられる。だがその納得は自発的な納得ではなく、強要された納得、わけのわからない心の動きとしての納得だ。

もっともわからないのは羊だ。この小説の真の主人公はこの羊だといってよいのだが、読者にはこれが理解できない。羊はたしかに、右翼の大物を動かしたり、鼠の体のなかにもぐり込んだりと、複雑怪奇な動きはするが、そのどこが面白いのか、読者にはわからない。鼠と同じく、この羊も足の生えた幽霊のように、曖昧なのだ。

こんな曖昧な存在に曖昧な行動をとらせるくらいなら、むしろ宇宙人でも登場させて、その邪悪な存在から地球を守るといった設定をした方が、気が利いていたのではないか。その場合には、僕は地球人を代表して巨大な悪と戦う英雄ということになろう。

この小説でもっとも精彩があるのは、羊博士の父子だろう。博士の人物像は丁寧に書けているわけではないが、羊への情熱が伝わってくる分だけ、人間的な温かみを感じさせる。この老人にくらべたら、僕の方がずっと年寄り臭いし、また人間的な温かみにも欠けている。

前二作の主人公たちも、人間性が豊かだったとはいえないが、この小説に出てくる僕はさらに人間性の乏しい存在になっている。その非人間的な存在が、女の子を相手にセックスをしたり、ビールを飲んだり、煙草の煙を吐いたりしながら、とりとめのない会話に興じている。

そのとりとめのない会話こそが、この小説の実体をなしている。だからそのバカげた会話を取り去ったら、この小説は中身までが消えてなくなってしまうのではないか。

こう感じたのは筆者ばかりではあるまい。







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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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