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女性としてのピンボールマシン:村上春樹の世界


村上春樹の小説「1973年のピンボール」に出てくるピンボールマシンは特別の存在だ。それはただの遊戯機械ではない。主人公の僕にとって、自分の青春がそのまま詰まっている。僕がそれにコインを突っ込み、レバーを引っ張ると、ただ単にボールが転がってフリッパーが跳ね上がるといった物理的なプロセスが展開されるだけではない。そこには同時に自分の人生が展開される。僕はこのゲームを通じて擬似人生を生きることができるのだ。

主人公の僕はそんな擬似人生にのめりこんでしまったのだろう、この機械が一人の女性のように感じられる、もちろん恋愛感情の対象としての女性だ。

だからいつも行っていた店からこの機械が消えてしまったとき、というより店そのものが機械とともになくなってしまったとき、僕は必死になって、機械の、いや彼女の行方を追及するわけなのだ。

僕がなぜそんな機械にこだわり、恋愛のような倒錯した感情を持つようになったか、作者は何も言っていない。ただ「彼女は素晴らしかった。スリースリッパーのスペースシップ・・・僕だけが彼女を理解し、彼女だけが僕を理解した。・・・」

つまり僕の意識の中では、スペースシップというピンボールマシンはただの機械ではなくなって、僕にとってかけがいのない恋人の地位を占めるに至ってしまったのだ。その彼女が「何処かで僕を呼び続けていた。何日も何日もそれが続いた。」

こうして僕は彼女を求めて、必死の努力をし、やっとピンボールにやけに詳しく、また思い入れのある不思議な人物と出会う。その人物はスペイン語の講師をしていて、なぜか僕に興味を示す。そして僕が求めているピンボールマシンについて、知っていることを語ってくれる。それによれば、僕が求めているモデルは日本に三台しか輸入されておらず、そのうちの一台はジェイズバーに、もう一台は新宿のゲームセンターに、最後の一台は渋谷のバーにあったがポンコツにされて今は存在しないということが分かった。

僕は新宿にあったマシンが今どこにいるか、ぜひ知りたい、できれば直接会いたいという。そんな僕の気持ちに応えて、スペイン語の講師が骨を折ってくれる。そしてついに、僕はスペイン語の教師に導かれて、彼女、いやピンボールマシンとの再会を果たすのだ。

彼女は、東京郊外の畑の真ん中に立っている、鶏小屋を改造した倉庫の中に安置されていた。僕がその中に入ると、そこにはおびただしい数のピンボールマシンが並んでいた。数えると78台あった。「様々なヒーローや女たちが、ボードの上から僕に微笑みかけていた。ブロンド、プラチナブロンド、ブルネット、赤毛、黒髪のメキシコ娘、ポニーテール、腰までの髪のハワイ娘、アン・マーグレット、オードリー・ヘップバーン、マリリン・モンロー・・・、誰もが素晴らしい乳房を誇らしげに突き出していた。

「スリースリッパーのスペースシップは列のずっと後方で僕を待っていた。彼女は派手なメーキャップの仲間たちにはさまれて、ひどく物静かに見えた。森の奥で平たい石に座って僕を待っていたようだった。」

僕の目に前にいるピンボールマシンはもはやただの機械ではない。それは人間のように話すこともでき、しかも僕の心に向かって訴えかけてくれる恋人でもある。

「ずいぶん長く会わなかったような気がするわ、と彼女がいう。僕は考えるふりをして指を折ってみる。三年ってとこだな。あっという間だよ。」

女の前で、てれを隠すように振る舞うのは僕の癖だ。スリースリッパーのスペースシップだけでなく、どんな人間の女の子の前でも、僕はこんな風にいうのだ。

「何故、来たの?
「君が呼んだんだ。
「呼んだ?彼女は少し迷い、そしはにかむように微笑んだ。そうね、そうかもしれない。呼んだのかもしれないわ。
「ずいぶん探したよ。
「ありがとう、と彼女はいう。」

だが僕は、彼女の顔を一目見ると、いつまでも立ち止まってはいなかった。彼女に別れの言葉を投げかけると、後ろを振り返ることなく倉庫を後にし、タクシーを拾って自分のアパートに帰った。

アパートでは双子が待っていた。僕は双子に両側をはさまれながら、深い眠りに落ちた。「僕はトロツキーと四頭のトナカイの夢を見た。四頭のトナカイは全員が毛糸の靴下をはいていた。恐ろしく寒い夢だった。」

こんな具合にこの小説のクライマックスがやってくる。こんな結末になれていなかった当時の日本の読者たちは、首をひねって見たり、目をしばたたいてみたり、自分の居所を再確認してみたりしたものだ。そしてカフカの小説を思い出しては、日本にもやっと、面白い作家が現れたようだと、自分を納得させたものだ。







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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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